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日本社会党

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にっぽんしゃかいとう

かつて存在した日本の社会主義政党(英称:Social Democratic Party of Japan,SDPJまたはJapanese Socialist Party,JSP)。「55年体制」における野党第1党であった。1996年解散。社会民主党の前身政党。

初代(日本社會黨)とその後の社会主義政党

日本最初の社会主義政党として「日本社會黨」が設立されたのは1901年だが、これはすぐに警察により解散(結社禁止)させられた。その後、第一次世界大戦以降になって社会主義者の間に再び結党の動きが活発になり、いわゆる「無産政党」として農民労働党を経て労働農民党が1926年に結成された。この政党はのちに日本農民党社会民衆党日本労農党への分裂と新労農党への改組を経て1932年に社会大衆党となり、1940年の大政翼賛会結成(合流)まで存在した。

2代目(日本社会党、社会党)

第二次世界大戦直後の1945年に非共産党系の合法社会主義勢力が集まって「日本社会党」を結成したのが始まりである。英語名称は当初「Social Democratic Party of Japan,SDPJ」だったが、後に左派が主導権を握り「Japanese Socialist Party,JSP」が使用された…が、後に再び右派が主導権を握ると前者に戻った。

一見すると戦前の無産政党が社会主義の実現のため一致団結して大政党を結成したようにみえるが、ただまとまっただけであったため、結成懇親会でも社会主義について一切触れられていないなど当初から波乱に満ちたものだった。ただ、これらの対立は左右分裂等を経て収束し、マルクス・レーニン主義か社会民主主義家をめぐるものへと収斂していった。

このように当初から党内対立を抱えており、1947年の衆議院選挙では第1党となって片山哲内閣を発足させたものの、対立はやまずこの政権はおよそ1年で終了。日本民主党総裁芦田均が総理大臣になり、社会党は連立与党として政権を組んだものの、7か月で総辞職し、以降の吉田茂政権以降は1990年代まで野党となる(吉田政権以降は保守政権)。吉田政権時代、1950年の「サンフランシスコ講和条約」を機に対立が激化、ついに左右に分裂する。しかし保守党が計画した改憲法案に対し、必要な2/3議席獲得を阻止を目指そうとしたのをきっかけに1955年に右派と左派が統一。以降は自由民主党(自民党)との「55年体制」が確立する。

これ以降も党の左右対立は続き、1960年には西尾末広片山哲水谷長三郎ら右派の議員が離党し「民主社会党」(⇒民社党)を結成。また、書記長を経験したことのあった江田三郎が1977年に離党し周辺の議員と「社会民主連合」を結成している。

党内の対立などにより分裂が続き、当勢は再統一直後の1958年第28回衆議院議員総選挙で記録した166議席を超える当選者を出すことはできず、55年体制が終焉した1993年まで社会党の政権を樹立することは出来なかった。また、上記の選挙でこそ立候補者を過半数以上擁立したが、中選挙区制特有の同士討ちを避ける目的もあり以降候補者を抑制したため過半数以下の候補者擁立が常態化し、政権交代を狙わない万年野党と化した。このため、一と二分の一政党制と呼ばれる状態となった(但し、党是であった憲法改正阻止のために、改正発議に必要な三分の二の議席数を与党に取られないという目的は達成していた)。

1980年代に入ると、飛鳥田一雄委員長のもと、政党路線を「中道政党」路線へ転身。1986年には土井たか子が(小政党を除いて)日本最初の女性党首(委員長)になると、土井ブームの盛り上がりによって1989年の参議院選挙で躍進することが出来た(いわゆるマドンナ旋風。参議院では改選議席で自民党を上回った)。

1993年の衆議院選挙では改選前の136議席から70議席と議席をほぼ半減させたものの、非自民・非共産の細川護煕連立内閣が発足し、連立与党となった。しかし1994年4月発足の羽田孜内閣では与党各派の統一会派結成に反発して連立を離脱。1994年6月に羽田孜内閣総辞職に伴い、当時の委員長、村山富市を首班として自民党新党さきがけ・社会党3党による村山富市連立内閣が発足して与党に復帰した。村山内閣の時に「自衛隊、日米安保条約、日の丸、君が代」を社会党として初めて容認し、旧来の党路線を大きく転換した結果、社会党の求心力は低下。旧来の社会党の党是の維持と村山路線からの決別を表明した勢力が分離し、「新社会党」が設立された。国会に議席を有さなくなって久しいが、現在も全国の一部に新社会党の地方議員・また党友たる議員がごく少数であるが残存している。

路線転換や選挙制度改革など、政界再編への対応のため1996年の村山内閣総辞職後に新党「社会民主党」(社民党)に移行した。しかし、民主党へ合流する議員の離党者が続出し、社民党は少数政党となった。

現在、日本社会党は以下の3つに分裂したと言える

  1. 社会民主党
  2. 民主党民進党立憲民主党
  3. 新社会党

余談

社会民主党へ移行する際に、日本社会党を党名変更する形を取ったため、現在も法規上両者は同一政党であり存続している。

関連項目

日本の政党 政党 社会党 社会民主党(社民党)

片山哲村山富市総理大臣経験者。

鈴木善幸 衆議院議員に初めて出馬、当選した時は日本社会党所属だった。後に民主自由党(→自民党)に移籍し総理大臣となる。

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