概要
日本の政治家、弁護士。1887年、和歌山県生まれ。東京帝国大学(現在の東京大学)卒。
弁護士としての仕事の傍ら、1926年に無産政党の社会民衆党から選挙に立候補して衆議院議員となった。
第二次大戦後の1945年に日本社会党(現在の社民党)を結成し初代委員長に就任。その後の1947年5月には第46代内閣総理大臣となったが、片山が保守系政党との連立による挙国一致内閣発足を目指したために、閣僚人事が難航し、親任式から9日間一人で全閣僚を兼任する一人内閣で運営された。
閣僚が決定し本格的に動き出してからも、GHQからの圧力、連立与党の民主党との勢力争い、さらに社会党内部でも左右両派の分かれての争いになり、政権運営が出来なくなったことから1948年3月に総辞職を決めた。そのような経歴から「グズ哲」と評価されることも。
さらに1949年の総選挙で、片山自身の落選も含めて社会党の議席数が3分の1(143→48議席)になる大敗を喫したことで、委員長を退くことになった。
1960年代に入ると日本社会党を離党、民主社会党(のち民社党)に加わって憲法擁護運動に専心した。1978年死去。