概要
就職難の続いた1993年〜2004年ごろに(第一次)就職氷河期時代に新卒として社会に出た人々を指す。
大卒であれば1970年度〜1981年度生まれ、短大・専門卒であれば1972年度〜1984年度生まれ、高卒であれば1974年度〜1986年度生まれが該当する。また、1970年度〜1971年度生まれはバブル世代と氷河期世代の両方の世代共言える。
ロスジェネ(ロストジェネレーション)とも称する。また一部の社会学者・福祉学者などは、その呼称すら生ぬるいとして(問題の深刻さを端的に理解させるため)「棄民世代」と称している。
時代背景
彼らの多くは就活で筆舌に尽くしがたい辛酸を舐めた(詳しくは就職氷河期へ)。
当時は難関大学の卒業生でもフリーターや派遣労働者に為るのが普通で在り、何とか正社員に成れても試用切りに見舞われて短期間で離職を余儀無くされる者、ブラック企業に心身を害され自殺・過労死に追い込まれたり廃人・ひきこもり化する者が相次いだ。
すんなりと離職出来ても離職歴という「バツ」が付いた彼らを待ち受けていたのは、それを理由に採用を嫌い敬遠し、彼らを見捨て続ける社会だった(→子供部屋おじさん/8050問題)。
更に2000年代前半は大学院重点化や国立大学法人化などの大学改革が進められた時代で在り、オーバードクター問題等という形でその割をもろに食ったのもこの世代の人々である。
2005年頃から新卒者の雇用環境が改善される一方で、既卒者の雇用環境は厳しいままであり、多くの氷河期世代はそのまま中小企業や非正規雇用で働く低賃金雇用者(ワーキングプア)として固定されてしまった。
この世代は極端に採用が少なかったので、大企業や公務員だと「氷河期世代がすっぽり抜けている」という職場は多い。
そして、こうした過剰に過酷な就職戦線を潜り抜けた氷河期世代(特に大企業社員や投資家、企業経営者などの「勝ち組」の男性)は、彼らが社会に出た時期に最盛期を迎えた新自由主義の風潮も在って過度に自己責任論を強調する様に為り、敗者を冷酷に切り捨てる苛烈な世界観を持つに至った。
氷河期世代の末端の1982年生まれで元自動車工場派遣社員で在った秋葉原通り魔事件の実行犯は、無敵の人の犯行にシンパシーを抱く同世代の「負け組」に対し「本気で自分を『負け組』だと考える人は全く理解出来ません」、「自分の努力不足を棚に上げて勝ち組を逆恨みするその腐った根性は不快です」と語った事が世間から驚かれたが、彼ら氷河期世代の思考法としてはなんら矛盾しないのである。
対策
2010年代も末に成って、氷河期世代の将来の生活保護費の増大と困窮老人化のリスクがようやく認識され、宝塚市を皮切りに多くの自治体がこの世代対象の採用試験を実施、国も「氷河期世代」の支援に、国を挙げて取り組むことを指示した。
しかし、こうした対策に対しては「泥縄」「焼け石に水」「遅きに失した」との声も多く、後述の事から「方法が完全にズレている」という声も出ている。
何故なら、この様な試験は世代対象とは言えやはり門戸は狭く、競争率も彼らが新卒で在った頃と全く変わらないか、もしくはそれよりも悪化した状態である事(採用人数5人以下に数千人・数万人の志願者が殺到するレベル)も多い。
その為、該当の氷河期世代たちからは「所詮はパフォーマンス」「かつての氷河期時代に散々に行われた『過競争の悪夢』の再演に過ぎない」「単なるアリバイ作り」「また私たちを、あの精神を磨り減らす競争に駆り立て、上げて落とすのか。若く現実を知らず仮初めとはいえ希望に燃えていたあの頃ならともかく、今と為ってはそんな事に耐えられるスタミナは無い」という冷ややかな声や嘆きも上がっている。
更に2020年代に成って新型コロナウイルスが流行した事により、人々の行動意識が停滞に向かうと共に社会そのものが氷河期世代対策どころではなくなってしまった。
上述の通り氷河期世代の救済は、ただでさえ待った無し遅きに失している部分があるが、この事によって更なる停滞と問題の再(最)悪化が見込まれている。
関連タグ
団塊の世代、しらけ世代...親世代だが、高度成長期の成功体験が強いため関係は悪い事が多い。
団塊ジュニア世代...この世代の前半と重なる。同一視される事が多い。
ポスト団塊ジュニア...この世代の後半と重なる。同一視される事が多い。
ゆとり世代...後世代。ゆとり世代バッシングの為、氷河期世代であろうと上の世代への共感は少ない。
Z世代(ジェネレーションZ)…子世代。ゆとり世代と一部重なる。
椅子取りゲーム 雇用のイスの取り合いが正にこの状況だった