概要
かつての「知識偏重の詰め込み教育」や「思考力・応用力の伴わない丸暗記学習」への反省から、
複数回に亘って段階的に学習指導要領の改訂が行われた。
授業内容を精選する事で授業時数を削減し、児童や生徒の主体性や自ら考える力を養う目的が有った。
但しこの方針には問題があったとされ、多くの批判が為された。
一方で誤解・誤認に基づいた批判も多いのが現状で、「ゆとり教育」という名前が一人歩きした結果誤った言説やデマが流れたという側面もある。
また、この"ゆとり教育"という用語は報道時に"メディア側"が考案し使用し始めた"造語"で在り、文部科学省が公式に使う言葉では無い上、記者や研究者間でその用法も統一されていない。
メディアによって
狭義には2002年実施の改訂学習指導要領から2010年頃実施の改訂学習指導要領までの時期の学校教育と言われるが、
それ以前も以後も様々な制度が段階的に変更されているので始めも終わりもハッキリとは定義されない。
話者各々が恣意的に設定し言及している。(参考)
報道における問題点
「ゆとり教育」という用語自体が、学校教育に関連して当時の政府・文科省をセンセーショナルに非難し揶揄する目的でメディアにより創作された造語である。
単純に分量で比較して教科書が薄く為った事や、2002年に公立学校が完全週休二日制に成ったこと等から「ゆとり教育=とにかく甘やかす教育方針」という誤ったイメージが先行して定着してしまった。
そのイメージは次第にエスカレートし、本来の指導要領改訂後の公教育の趣旨から離れた誤解も多く生まれた。
また「週休二日制」は公務員の働き方改革などの流れで導入されたもので、学校教育の変更の一環として導入された訳では無い。
「ゆとり教育(この場合は2002年実施の改訂学習指導要領)が為された途端に国際学力テストPISAの日本の順位が下がった」というニュースからゆとり批判が一気に噴出し、2000年代に一種のブームに為る。
しかし教育というものは結果が出るまで時間差が有るのが普通で在り、指導要領を変えた途端に如実にテストに結果が表れるという事は有り得ない。
また「国際学力テストの日本の順位」ばかりが報道され、具体的な点数の内訳や、日本以外の参加国が増加・変化している(世界的に高度経済成長が起きていた)、日本の調査対象母集団が2000/2003で異なっている事は無視されがちで有った。
加えて実はPISAは2000/2003の間でテストの設計が変更されており、日本以外の各国でも全体的に順位の変動が起こっていた。
これはPISAの報告書内でも直接触れられており、PISA2000の問題クラスターから新しい問題クラスターへと移行した事で、PISA2000 とPISA2003 の得点を等化した結果は、本来不確かなものとされる。
また単純にPISAの順位のみを比較した場合でもPISA2009、PISA2012とゆとり教育期間とメディアによって見なされた期間が長い年(そして参加国が増加した年)ほど順位が向上している。(参考)(参考)
指導要領改訂前後で学力は実際にはほとんど変化していない、あるいは向上しているという分析も在る。(参考)(参考)
指導要領改訂による成果を評価するには些か性急過ぎた、という指摘もある。
デマが流れたり、公教育とは関係の無い事まで、ゆとり批判に絡められるという問題も起きた。
「近頃の若者は」という批判は何時の時代でも在るものだが、「ゆとり教育」というネーミングが付く事で若者の悪い所はゆとり教育のせいというロジックに為ってしまったのだ。
この教育におけるプロパガンダ
報道においては、改訂された指導要領の本旨を無視した文言の切り抜き・誇張・曲解・独自解釈など勝手読みに基づく悪意ある情報発信が多数行われた。
「台形の面積」に纏わるもので在ったり、「円周率の桁数」に纏わるもの等が問題点として指摘されていたが、
しかし「学校で台形の面積の求め方を教えていない」というのはデマで在り(参考)、「円周率は『3』と教えている」というのもデマで在る。(参考参考参考)
ゆとり批判はヒステリックな社会現象にまで発展しており、後にWikipediaにも「円周率は3」という項目が立てられている程。
元々丸暗記中心の「詰め込み教育」では却って内容が身に付かないという「剥落学力」や、授業に就いて行けない落ちこぼれが不良化すると言った問題が指摘されており、前時代における落ちこぼれ・少年非行・学級崩壊の蔓延を受け、それに対する方向転換で有った。
その中で時間や教科書のページ数と言った単純な量ばかりフォーカスされた事で早くから学力低下が不安視されており、そこに便乗して入塾者を増やしたい学習塾業界が保護者らの不安を過剰に煽ったという側面も指摘されている。
更に公教育や指導要領改訂とは直接関係ない事象においても、こじつけが行われるという事態が起きた。
「運動会でも順位を付けなくなった」「劇で全員が主役を演じた」と言った事も「ゆとり」の象徴として噂されたのだが、全て一次資料は確認されておらず、仮に実在したとしても極めて特異な例でゆとり教育とされた時期とは関係無くそれ以前も以後も存在しているものと思われる。
(少なくとも1980年代には同種の"伝聞調"の噂が存在しており、この噂においても具体的な学校名などの一次資料はない)
また本来の改訂後の指導要領の趣旨とも合っていない。
恐らく、成績の付け方が相対評価制から絶対評価制に移行したという事が曲解されてこうした噂が広まったと思われる。
また「自主性を尊重」という文言を抜き出し拡大解釈する事で「競争をさせない」教育であったという言説もあるが、
言うまでも無く教師等に児童・生徒の「競争をする権利」を制限する権能などはない。
そもそも指導要領に教員の教育観などの思想を操作し画一化する強制力など存在しない。
教育関係者や小中学生の子供がいる親御さんならデマだと気付きそうにも思えるが、噂が巡り巡ると「うちの学校はたまたま違うけど、世間の主流はそうなのか」と思ってしまうものである。
「円周率は3」について教育関係者でさえ「世間ではそう教えるのが主流」と誤解していたというエピソードがある。
問題は寧ろ大人世代の方だった。
「ゆとり教育」とされるものには様々な問題があるとされたが、
「では何が問題だったのか」は漠然としており、
批判者も明確な根拠の在る一次資料では無く、
メディアの創作や通俗的なイメージに基づいた批判をしがちである。
少なくとも関連事象がこれほど荒れた根底には、「ゆとり教育」という用語を創作してメディアが付与した負のイメージ、国民への説明不足が有った事は確かだろう。
また漫画やアニメ、ゲーム等のエンタメ産業に携わる者達が知識不足・理解不足にもかかわらず伝聞と推定で安易に「ネタ」として取り扱った事も、デマや俗説が流布され建設的な議論が妨げられた大きな要因の一つで在る。
ゆとり世代
この目的に沿った教育を受けたとされる世代が「ゆとり世代」と呼ばれ、概ね1980年代から2000年代にかけて教育を受けた昭和の終わり頃から平成一桁生まれのものが該当するとされるものの、この指導要領改訂は段階的に行われていったものであり、話者ごとにこの用語を恣意的に使用する為、この教育を受けた年代の始まりと終わりを一意的に定義する事は出来ない。(参考)
「ゆとり教育」が俗語ならば「脱ゆとり教育」もまた俗語で在る
ゆとり教育の定義が一意に決定出来ないという事はつまり、
脱ゆとり教育という用語の意味や時期・範囲も一意に定義づけられないという事である。
それを示す昨今の具体例として、
PISA2022の好成績を受けてこの好成績の要因を「脱ゆとり教育」に求める報道があるが、
この報道の中ではなんと脱ゆとり教育によってPISA2009の頃から順位の向上がみられると報じるメディアが複数ある。
つまりこれら記事を鵜吞みにして
1998年改訂2002年実施指導要領が狭義のゆとり教育の開始としてそのまま解釈するならば
西暦1998年改訂西暦2002年実施習指導要領によって従来メディアによって狭義のゆとり教育とみなされたものが始まる
↓
PISA2003にて順位(点数・成績ではない点に留意)の下落が起こる
↓
PISA2009から順位が「脱ゆとり教育」によって上昇する
↓
西暦2008・2009年改訂学習指導要領が西暦2011・2012年実施される(従来メディアによってはこれが脱ゆとり教育の始まりとみなされた)
という時系列に為ると報じているのである。
如何に(脱)ゆとり教育という用語が恣意的なものかを示す例である。
蔑称として
こうした背景からネット上ではこれを皮肉り、考えの足りない、あるいは迷惑な若者を罵倒する台詞として「ゆとり」がおおよそ2000年代後半から2010年代前半にかけて使われる様に為っていた時期が在った。