概要
「デフレーション」の略称。「インフレーション」(インフレ)の対義語。財やサービスの価格が下がる事。
言い換えると、通貨の価値が上がることである。
通貨の供給量の不足、賃金の下落による国民の購買力の縮小などが原因で、実質金利が上昇するため資産家や借金の貸し手には有利に、借り手には不利な状況になる。
借り手に不利ということは、言い換えると借金をしてでも経済を回そうというインセンティブが低下するということでもあり、長期的には経済停滞の原因にもなりうる。
供給が需要に対してダブつくので、少ない料金に対する過剰なサービスが発生しやすい。
ある意味では豊かさの裏返しとも言えるが、賃金不足に陥るため長期的に蔓延すると経済に深刻な打撃を与える。
通貨の供給力を制限した結果の場合は通貨高の原因にもなりやすい。通貨高は海外から原材料や製品を輸入する上では有利となるが、輸出では不利となる(海外にとっては物が高くて手が出にくくなる)。
物価下落は景気後退のサインであることから、デフレ=不景気として語られることが多いが、実際には悪性インフレを退治するための適度なデフレであれば、むしろ物価安定を招いて好景気にも繋がる場合がある。
デフレの例
- 明治時代に松方正義が西南戦争などを原因とする不換紙幣大量発行のインフレを抑える策として、銀兌換紙幣と増税(←不換紙幣の回収を兼ねている)・官営の民間への払い下げなどを行い、「松方デフレ」と呼ばれる強烈なデフレを招いた。払い下げにより財閥は成長を遂げる一方で、デフレに耐えられない農民は自作農から小作農あるいは工場労働者への転身を余技されなくなり、結果的に現代資本主義化を促進することとなった。
- 1929年のウォール街に端を発する世界大恐慌から、米国経済は景気後退とデフレに陥った。これはルーズベルト大統領による大規模財政出動(ニューディール政策)の奏功により、5年程度で終息した。
- 1990年代前半のバブル崩壊後、日本では金融機関による「貸し剥がし」が横行。これが中小企業の銀行不信と設備投資欲の減退を招き、以降20年以上続く慢性的デフレ(デフレマインド)の原因となったとされる。また同時期に急激な円高も発生し、これも長期的デフレの原因となった。
- 00年代前半日本の「いざなみ景気」はデフレ経済下の好景気であったとされる。日銀はこの期間中円安を促進する金融緩和策(ゼロ金利政策)を取り野党から批判を浴びたが、実際には同時期の小泉純一郎総理の大胆な構造改革と併せて大きなインフレに陥ることは無く失業率と企業業績の大規模回復を実現した。しかし彼らの政策は、この後に起きたリーマン・ショックにおける派遣切りを誘発したという批判も残った。