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中曽根康弘

なかそねやすひろ

(大正7年5月27日~ )第71~73代内閣総理大臣。従六位大勲位。
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自民党所属の元首相・国会議員。最後の“昭和時代の内閣総理大臣”である。

内務省退官後、昭和22年から平成13年までの長きにわたり衆議院議員をつとめ、運輸大臣や防衛庁長官、通産大臣などの要職を歴任する。昭和57年に内閣総理大臣に着任。

首相在任時

三次にわたって内閣を組織し、首相在任期間1806日(歴代六位)に及ぶ。在任中は「戦後政治の総決算」を掲げ、行政改革に傾倒し、国鉄(現JR)・電電公社(現NTT)・専売公社(現JTおよび塩事業センター)の三公社の民営化を実現した。その政治手法は従来の田中派的調整政治とは一線を画すトップダウン型のもので、強力なリーダーシップが高い支持につながった。

教育政策では、国際問題化した歴史教科書問題に中国の立場に配慮した「近隣諸国条項」を追加することで一応の決着をつけ、ゆとり教育の導入をはかった。

経済・外交政策は常にアメリカのレーガン政権と歩調を合わせたもので、「ヤス(中曽根康弘)はアメリカの使い走り」と揶揄されるほどだった。アメリカの貿易赤字解消のためプラザ合意による円高ドル安政策をとり、アメリカ製品の輸入促進を国民に訴える。アメリカの要望に応えた内需拡大のための過度の金融緩和、そして容積率の大幅緩和・リゾート法制定といった一連の政策は、狂乱地価と株価暴騰によるバブル景気を引き起こすことになった。

「大型間接税は導入致しません」「この顔が嘘をつく顔に見えますか」とをついてまでゴリ押ししたせいで内閣瓦解につながった売上税は、後任の竹下登内閣で消費税として実現した。

人物像

核武装論者であった中曽根は、若手政治家時代、日本への原子力発電の導入に大きく貢献している。

政治的主張は典型的タカ派であるが、中華人民共和国との融和を重視し、中国の抗議に応じて靖国神社の参拝を中止。先の大戦についての歴史認識については「帝国主義による侵略戦争であった」という見解を見せている。

小泉純一郎によって政界引退(議員辞職)を勧告され、宮沢喜一共々、平成15年衆議院議員選挙への出馬を断念する。改憲、東アジア共同体の実現に情熱を燃やしていたが、これらは政治家として実現できなかった。

平成30年5月現在、存命最高齢の“元首相”であり、平成30年5月27日で100歳なり、東久邇宮稔彦王(享年102歳)以来2人目となる100歳に到達した。
主要先進国7ヶ国の首相経験者としても最長寿。長男は自民党所属参議院議員の中曽根弘文。孫は自民党衆議院議員の中曽根康隆・テレビディレクター兼インディーズタレントの双川正文らで、曾孫も平成29年現在6人ほどいる模様。存命中に孫が議員になるというある意味での大偉業を成し遂げた。
平成30年5月現在。大正生まれの元首相で存命なのは、中曽根と村山富市(大正13年生まれ)の2人だけである。

現在でも国会の歴代在任記録56年強は歴代2位(1位は尾崎行雄の約64年)、当選回数20回も歴代2位タイ(1位は尾崎の25回、同列2位は同じ中曽根派の重鎮原健三郎)であるが、中曽根は小選挙区導入時は選挙区地盤を他人に譲る代わりに元首相として比例区終身1位の確約を経て比例区に転出しており、これが成されていれば平成27年10月の選挙を以て在任記録70年・当選回数26回・在籍時年齢99歳(これも記録上の1位は尾崎の95歳で、原の93歳がこれに続く)の三冠を達成していた。このことはアメリカの長寿研究機関ジェロントロジー・リサーチグループも公表している。
しかし、自身以来久方ぶりに自民党総裁を複数期に渡って任期満了まで務めた小泉純一郎が比例定年制の厳格導入を主張して中曽根に退陣を迫り、終身1位は3回目にして反故とされ、引退を余儀なくされた。
こうした経緯からか、未だに講演などで元気な姿を見せることがある。

ポップカルチャー

椎名林檎の楽曲に中曽根元総理をテーマにした「海軍ポリティシャン」というDEMO曲がある。タイトルは彼が海軍将校であったことに由来する。

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