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金鵄勲章

きんしくんしょう

かつて制定されていた日本の勲章の一つ。日本唯一の武人勲章。金鵄章とも。
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概要

金鵄勲章は日本の勲章の一つで、軍人専用の勲章として制定されていた。

旭日章などの勲等と異なり功級によってランク分けされていた(功七級まで)。同じ数字等級であるならば功級の方が勲等より上位に制定されたため、同じ等級の旭日章・瑞宝章より上位に位置づけられている。

功級は武功の功績によって制定されるため、勲等のように肩書きが第一のものではなかった。とは言えあくまで建前の話であり、功一級ともなれば通常は将官クラスにしか授与されない。しかしながら、将校だから一律に授与されるというものではなく、ある程度の武功が必要だったのも確かである。また、年金制度がもうけられていた。しかし、太平洋戦争期には財政的負担がかかるために国債や一時金に切り替えられたが、敗戦でそれすらも廃止されたため、戦後は有名無実化し、受賞者らは名誉回復と年金支給運動を始めることになる。

戦後の扱いと余談


終戦後、日本国憲法下では廃止された。実際は根拠となる制度の廃止と授与母体の日本軍の解体で新規授与が無くなったのみであったが、戦後の大変革の余波で佩用そのものも国民の憎悪の対象と見做され、戦後に主権が回復した後も戦前の功績で受賞した軍人であっても、佩用していると、周囲から軍国主義者のレッテルを貼られる事が常態であったため、公の場での佩用は戦後も数十年は禁止されたままであった。(実は、主権回復後においては公の場以外での佩用であれば別に問題はなかったが…。)

この状況を戦後の政府も流石に哀れんだか、また、戦後のキャバレーでかつての名誉勲章がバッジ代わりに使われていたという事実を憂慮したのか、戦後復興の進んだ1960年代せめての慰めと、当時の金額で10万円の一時金を支給したり、銀杯の授与を行うなどの施策を実行したが、旧軍人のご機嫌取り目的のその場しのぎは否めず、不満解消には繋がらなかった。なお、受賞者の最大の願いであった『公の場での佩用』については、年月の経過で高齢化しつつあった受賞者らへの国からの慰めと慰労の気持ちという意味か、戦後40年ほどが経過した1980年代の後半ごろに公式に解禁された。生存した受賞者の悲願であった年金支給の復活こそ、戦後日本の政治事情と隣国への配慮で認められなかったものの、名誉回復は老い先短くなった元軍人らへのせめての冥土の土産ということ、その頃の首相が海軍の軍歴を持つ中曽根康弘氏だった幸運、戦後40年という節目だった事もあり、承認された。従って、通達の出された1986年以降は公の場での佩用が認められている。

ちなみに、戦後すぐの貧困もあり、多くの金鵄勲章が質屋などに売りに出されていた。勲章の廃止により年金は愚か、その代替のはずの国債も廃され、後に残ったのは勲章本体と金にならない名誉のみ…とあれば、金になる勲章本体を売るという流れに繋がったのも無理はない。戦後に質屋でこの勲章を見かけるとしたら、それは戦後すぐの時期に売りに出されたものであるか、本人の死後に、子や孫などの遺族が売りに出したものである。



自衛隊の名誉制度での紆余曲折


その後、朝鮮戦争を契機に自衛隊が結成され、時代が進むと海外への出張なども行われるようになった。しかし、戦後の運用では勲章というものは、引退する人間が永年の功労によって授与されるものと化し、若い官吏に叙勲されるなどということは滅多にあるものではなくなってしまった。ところが、海外では軍人への勲章は普通にあるものであった。自衛官であっても、外国の勲章は普通に授与されている。パーティなどに出ようものなら、士官クラスでも勲章が授与されず、外国の勲章をつけざるを得ない姿は、どこか異様なものとされ、軍主催のパーティーなどでは嘲笑の対象ともされたという。

そこで戦後しばらくの間、自衛官らは自らの見栄えをよくするために質流れの金鵄勲章と従軍記章のジャンクを購入し、勝手に装着する(特に金鵄勲章の略綬は多用された)という行為に及んだとされる(現役の勲章と同一または同意匠のものを公の身分を偽る目的で佩用しない限り、違反行為ではない)。また、1980年代後半までは、自衛隊には戦前・太平洋戦争期に軍歴があった元士官や下士官たちが多数在籍していたため、制度の廃止前に自らが受賞した従軍記章や金鵄勲章の略綬を自主的に装着する事も行われていた。(当時の防衛庁も、旧軍人であった者らについては『戦前に受賞している以上は当然の権利』とし、これらの行為を黙認していたとされる)

その後、旧軍経験者からの自衛官の世代交代が進んだ時代になって、制服の見栄えの問題が実務上の現実問題と化したのか、1980年代頃に自衛隊内の「徽章」として防衛記念章が制定され、各種の功績や地位に基づいて多数の自衛官に授与された。しかしながら記念章は長らく勲章の「メダル」が無く「略綬のみ」という形態であったため、メダル本体を着用するパーティにおいては相変わらずの扱いを受けることになる。解決のために金鵄勲章を復活させるべきであるとか、勲章の授与範囲を見直せという声が長らく上がっていたが、結局当面の解決策として、先ず「防衛功労章」としてメダル付の徽章が新たに制定(当初は綬が無く直接胸部にとりつけるバッジ形態であったが)。更に功労章に綬がついた頃には防衛記念章の一部の章にも、後々メダルが作られるようになり(記念章の一部など)、ようやく、ある程度は海外との均衡が保たれるようになった。(なお、2003年以降に危険業務従事者叙勲制度が設けられたが、制度は引退した将官や業績のある佐官級の自衛官が対象であるため、尉官級以下の自衛官は縁がないことには変わりないのだが)

なお、金鵄勲章も含め日本の勲章の大半が「order」、騎士団勲章である。アメリカなどの共和制国家の勲章は多くは「medal」形式であり、君主制のイギリスなども含め軍人などに多く授与される勲章のタイプは「medal」タイプが多い。従って、自衛隊のメダル付徽章でもって対応するのは大きく間違えているわけでもない。
政府公式の栄典に「medal」タイプの栄章が無いわけではない。勲章の他に「褒章」の制度があり、medal勲章の体を成すものである。ただし、褒章も「危険を顧みず人助けをした者」への紅綬褒章や「公共のために財を寄付した者」への紺綬褒章を除けば、勲章のように永年の功労を基準として授与されることが多い。



 畑俊六陸軍元帥肖像画のイラスト。サムネイルでは隠れてしまっているが、全景の向かって右側、氏の左胸下部に配置された鮮やかな勲章が金鵄勲章。

神武天皇東征の際に、帝の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝き、長髄彦の軍兵の目を眩ませたという伝説に基づき、名称や意匠が決められたとされている。
章の上部に金色のトビが配置され、下位階級では鈕(章と綬の間にある金具)に近い役割を果たす。そのトビが止まるのは矢では無く古代三大兵器である剣の柄であり、他に盾と矛も配される。剣は緑と金の柄、盾は紺、矛は黄色の柄に銀の刃、矛に付属する旗は赤と、見た目にも大変鮮やかな多色の七宝が用いられている。
周囲に八方に光線をモチーフにした意匠が伸びるのは旭日章・瑞宝章に類似しているが、金鵄勲章はそれを赤の七宝で仕上げている。功一級のみ、このうち斜めの光線のみ黄色の七宝である。
下位等級である功七級は、他の勲章の勲七等以下のように、七宝で色づけをしていない。
綬の色は緑。

副章は功一級・功二級のみ持ち、通常胸部に佩用して使用する。また、功一級の大綬に関しては、他の勲一等の大綬や菊花章などが右肩から左脇にかけて掛けるのに対し、唯一左肩から右脇に掛けるとされた。

世界的には騎士団勲章としての性格を持つ。
この場合の事実上の団長格は天皇であった。廃止に伴い、天皇も佩用せず、昭和天皇が最後の団長格であったといえる。


関連項目

勲章 菊花章 桐花章 旭日章 瑞宝章 宝冠章 文化勲章
防衛記念章 防衛功労章

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