概要
受章者 | 赤軍、海軍、НКВД部隊およびパルチザン部隊の兵卒および指揮官 |
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叙勲の基準 | ソヴィエトの母国のための闘争における勇敢、不屈および勇敢、労農赤軍の軍事作戦の成功を自身の行動をもって促進した軍勤務者 |
状態 | 返納の必要なし |
原材料 | 金、銀 |
制定日 | 1942年5月20日 |
最初の叙勲 | 1942年6月2日 |
最後の叙勲 | 1985年11月6日 |
叙勲数 | 910万以上(戦時中、第1級が35万名、第2級が92万6000名) |
序列 | アレクサンドル・ネーフスキイ勲章の下位、赤星勲章の上位 |
のちに勲章の姿には、ソ連最高会議幹部会の1943年6月19日の布告により、また勲章の規定には、1947年12月16日のソ連最高会議幹部会の布告により、いくつかの変更がなされた。
経緯
祖国戦争勲章は、大祖国戦争の期間における最初のソヴィエトの勲章。異なる等級を備え持った、最初のソヴィエトの勲章でもある。その他の勲章やメダルも家族の元に保有することを許可する布告が発布される1977年以前に、死後も家族に保有された、数少ないソヴィエトの勲章の一つだった(十月革命勲章、「母親英雄」勲章、第1級、第2級及び第3級「母親栄光」勲章と同じく。他の勲章は、国家へ返還しなくてはならなかった)。
1942年4月10日、И・В・スターリンは労農赤軍後方部隊の指揮官А・В・フルリョーフ将軍に、ファシストとの戦闘において傑出した軍勤務者を叙勲する勲章を立案、提出することを委任した。当初、勲章は「戦時の献身のため」と命名されることが想定された。勲章の計画において、画家のセルゲイ・イヴァーノヴィチ・ドミートリエフ(「剛毅」メダル、「戦功」メダル、「労農赤軍20周年」記念メダル製作者)、アレクサンドル・イヴァーノヴィチ・クズネツォーフが勧誘された。2昼夜の後、のちにいくつかが金属製の試作品のため選定されることになる、最初の下絵が上がった。1942年4月18日、見本が認可された。未来の勲章の基本にはА・И・クズネツォーフがプロジェクトの完遂に選出され、刻印「祖国戦争勲章」にはС・И・ドミートリエフが選出された。
戦闘において傑出した将士の時宜に適した叙勲のため、祖国戦争勲章を授与する権利は、戦線・艦隊の司令官から軍団指揮官までを含む、軍司令部に委ねられた。勲章による叙勲はたびたび、戦時の状況下、戦功を上げた後、直ちに行われた。
第1級・第2級祖国戦争勲章の授与に関するソ連最高会議幹部会の最初の布告は、1942年6月2日に発布された。最初に勲章の佩用者となったのはソヴィエトの砲兵隊だった。勲章の規定には、第1級勲章が、1両の重戦車(もしくは中戦車)あるいは2両の軽戦車(装甲車)を砲兵隊の火砲で直接に撃破したもの、あるいは砲手隊員として敵の2両の重戦車(もしくは中戦車)あるいは3両の軽戦車(装甲車)を撃破したものに授章されると記された。しかし、ハリコフ方面における戦闘で第42親衛狙撃兵(歩兵)連隊の側面を掩護した第32親衛連隊の砲兵隊員たちは、И・И・クリークリイ大尉の指揮の下、規定の「ノルマ」を破った。200両のファシストの装甲部隊がソヴィエトの陣地へと前進して来た1942年5月、その砲兵隊と対戦車砲手隊は的確に対敵し、敵に甚だ大きな犠牲を強いた。絶え間ない戦闘の2日間で、砲兵大隊は敵の32両の戦車を撃破した。И・И・クリークリイ大尉は直接に5両のファシストの車両を撃破したが、自身も重傷を負った。いくつかの砲手隊が戦死した時、А・В・スミルノーフ曹長は、砲弾の破片が手首を切断した後も砲撃を継続した。
イヴァーン・イリイーチ・クリークリイ大尉は最初の第1級祖国戦争勲章佩用者となり、アレクセーイ・ヴァシーリエヴィチ・スミルノーフ曹長および隣接する第776砲兵連隊の政治委員イヴァーン・コンスタンチーノヴィチ・スタツェーンコもまた叙勲された。
残りの砲兵隊砲手たち、赤軍兵士グリゴーリエフ、ニコラーイ・イリイーチ、クリーニェツ、アレクセーイ・イヴァーノヴィチ、ペトローシュ、イヴァーン・ポリェフトーヴィチ、曹長ジャルコーフ、スチェパーン・トリフォーノヴィチ、軍曹ニェムフィル、ミハイール・グリゴーリエヴィチ、およびネステレーンコ、ピョートル・ヴァシーリエヴィチが、第2級祖国戦争勲章を授与された。
第1級祖国戦争勲章の第1号は、1942年のルジェーフ周辺の戦いで、勇敢と剛毅を理由に叙勲された政治委員、第52狙撃兵師団の政治部指揮官次官、コーニュホフ、ヴァシーリイ・パーヴロヴィチの死後に家族に授与された(1943年4月24日付、西部方面軍命令第072号「構成員の叙勲について」)。
第2級祖国戦争勲章の第1号は、第155戦車旅団の偵察隊参謀部次官の上級中尉ラージュキン、パーヴェル・アレクセーエヴィチの死後に家族に授与された(1943年4月5日、第3軍命令第22号)。
一つの軍事作戦の参加者全員にこの褒章が授与された事例は、第1級祖国戦争勲章の歴史において極めて少ない。1942年7月5日、敵の戦艦「ティルピッツ」にバレンツ海で攻撃を行った潜水艦「К-21」の乗組員が、そのような栄誉に最初に浴した。
1943年1月のドネツ川北部における2日間の戦闘の参加者、А・アターエフ中尉麾下の30名の打撃部隊員も第1級祖国戦争勲章によって叙勲された。
祖国戦争勲章によって、軍部隊、兵団、軍学校、防衛工場も叙勲された。第1級祖国戦争勲章によって多くの都市も叙勲された。
- ノヴォロシースク、スモレーンスク(1966年)
- ケールチ、チーフヴィン(1974年)
- ヴォローネシ(1975年)
- ナーロ=フォミーンスク(1976年)
- ルーガ(1977年)
- ルジェーフ(1978年)
- オリョール、クールスク、ビェールゴロト、ソーチ、キスロヴォーツク、モギリョーフ(1980年)
- イェーリニャ、コールスニ=シェフチェーンコフスキイ、ロモノーソフ、トゥアプセー(1981年)
- ムールマンスク、ロストーフ=ナ=ドヌー、シェールプホフ、フェオドーシヤ(1982年)
- ヴェリーキエ・ルーキ、リャーチコヴォ(1983年)
- カンダラークシャ、キーンギセップ、キシニョーフ、オールシャ、スターラヤ・ルーサ、ターリン(1984年)
- ヴォロコラームスク、ボリーソフ、イジューム、モジャーイスク、ナーリチク、チラースポリ、シャウリャーイ(1985年)
1969年にも祖国戦争によってスロヴァキアの村スクラビーニャが叙勲された。
戦後、戦時中に推挙されたにもかかわらず、何らかの理由で授与されなかった数万の傷痍軍人の叙勲が続いた。
1977年5月、祖国戦争勲章がおよそ700名の、第二次世界大戦中に反ファシスト闘争に寄与した外国市民に授与された。
勲章の地位
ソヴィエトの母国のための戦闘において剛毅、不屈、勇敢を発揮した赤軍、海軍、НКВД部隊およびパルチザン支隊、また我々の軍の軍事作戦の成功に自身の行動をもって貢献した軍勤務者が祖国戦争勲章で叙勲された。祖国戦争勲章の受章者は、ソ連最高会議幹部会の布告により昇級された。祖国戦争勲章は、第1級及び第2級の2つの等級より成立する。勲章の上級は、第1級。受章者に授与される勲章の等級は、ソ連最高会議幹部会の布告により明確化された。
勲章の地位において、ソヴィエトの勲章の授与の制度において初めて、叙勲に推挙されるべき傑出した具体的な勲功が列挙された。
受章者
第1級祖国戦争勲章の授与対象
- 敵の背面において特に重要な対象を的確に撃破・破壊した者
- 軍の任務の遂行に当たり、航空機乗組員としての自身の義務を敢行し、レーニン勲章で叙勲された航空士もしくは飛行士
- 航空機乗組員に入り、空中戦において以下の機体を撃墜した者;
重量級爆撃機4機
長距離爆撃機5機
近距離爆撃機7機
襲撃機3機
戦闘機3機
- 航空機乗組員として、以下の行為を遂行した者
重量級爆撃機、20回の上首尾の出撃
長距離爆撃機、25回の上首尾の出撃
近距離爆撃機、30回の上首尾の出撃
襲撃機、25回の上首尾の出撃
戦闘機、60回の上首尾の出撃
長距離偵察機、25回の上首尾の出撃
近距離偵察機、30回の上首尾の出撃
弾着観測機、15回の上首尾の出撃
- 連絡機、自国領内への着陸のための60回の上首尾の出撃、および敵による占領下の領土の自軍の兵営への着陸のための30回の上首尾の出撃
- 輸送機、自国領内への着陸のための60回の上首尾の出撃、および敵による占領下の自軍の兵営への着陸のための15回の上首尾の出撃
- 正確かつ一貫した航空隊の指揮を完遂した者
- 正確かつ計画的な参謀部の職務を遂行した者
- 敵の領内へ不時着・損壊した航空機の修復、そして離陸を成しえた者
- 敵の放火に晒される前線の飛行場において、少なくとも10機の航空機の修復を成しえた者
- 敵の放火の中、飛行場から貯蔵品の搬出を成しえ、また、地雷を敷設し、そこへの航空機の着陸の機会を敵に与えなかった者
- 直に敵の2両の重戦車もしくは中戦車、もしくは3両の軽戦車(装甲車)、もしくは砲手隊員として敵の3両の重戦車もしくは中戦車、もしくは5両の軽戦車(装甲車)を撃破した者
- 最低5基の敵砲台を砲兵隊の火砲によって沈黙させた者
- 砲兵隊の火砲によって敵の航空機を最低3機撃墜した者
- 戦車の搭乗員として、敵の火器・兵力の撃破の任務を3つ遂行した、もしくは戦闘において最低4機の敵戦車もしくは砲4機を撃破した者
- 敵の砲火の中、敵によって損傷した戦車を、戦場から最低3両撤退させた者
- 恐怖を退け、敵の簡易トーチカ(永久トーチカ、塹壕もしくは掩蔽部)に突入し、断固たる行動で守備隊を撃破、我々の軍にその防御線の迅速な確保の可能性をもたらした者
- 敵の砲火に晒されながら、架橋し、敵によって破壊された仮橋を修理した者 敵の砲火に晒されながら、司令部の委任により、敵の行動を阻止するべく、直に橋もしくは仮橋を爆破した者
- 敵の砲火に晒されながら、技術的もしくは直接の連絡を確立し、敵によって損害を与えられた技術的な連絡手段を修理し、それによって我らの軍の戦闘行動に指揮の一貫性を与えた者
- 戦時中、その発端より砲火(砲台)を開けた陣地へと放ち、敵の先陣と備品に砲撃を加えた者
- 部隊もしくは分隊を指揮し、優勢な敵軍を殲滅した者
- 騎兵の強襲へ参加し、敵集団へ突入し殲滅した者
- 戦闘において敵の砲台を占領した者
- 直接の偵察の結果、敵の防衛の薄弱な部分を見極め、我々の軍を敵背面へと導いた者
- 軍艦乗組員、航空機搭乗員、沿岸砲台の砲手として、敵の軍艦もしくは2隻の輸送艦を撃沈した者
- 敵の領内への揚陸を準備し、成功裏に上陸した者
- 敵の砲火の中、損傷を負った艦を戦闘より撤退させた者
- 敵の軍艦を奪取し、自軍の基地へと曳航して来た者
- 敵の基地への通路に水雷・地雷等の障害物の敷設を遂行した者
- 再三再四の掃海任務により、上首尾に艦隊の戦闘行動を提供した者
- 戦闘中の損傷の上首尾の修復により、艦の戦闘能力の回復を保証、もしくは損傷を負った艦の基地への帰港を保証した者
- 敵の壊滅を促進する、我々の軍の物質的・技術的保証を見事に準備した者
第2級祖国戦争勲章の授与対象
- 軍の任務の遂行に当たり、航空機乗組員としての自身の義務を敢行し、赤旗勲章で叙勲された航空士もしくは飛行士
- 航空機乗組員として、空中戦で以下の機体を撃墜した者
重量級爆撃機3機
長距離爆撃機4機
近距離爆撃機6機
襲撃機2機
戦闘機2機
- 乗組員として、以下の任務を遂行した者
重量級爆撃機、15回の上首尾の出撃
長距離爆撃機、20回の上首尾の出撃
近距離爆撃機、25回の上首尾の出撃
襲撃機、20回の上首尾の出撃
戦闘機、50回の上首尾の出撃
遠距離偵察機、20回の上首尾の出撃
近距離偵察機、25回の上首尾の出撃
弾着観測機、10回の上首尾の出撃
連絡機、50回の自国の領土内への着陸のための出撃、そして20回の敵による占領下の領土への着陸のための出撃
輸送機、50回の自国の領土内への着陸のための出撃、そして10回の敵による占領下の領土への着陸のための出撃
- 戦闘において奪取した戦利品の航空機の復旧、習得、使用を成しえた者
- 最低5機の航空機を、敵の砲火に晒される前線の飛行場で修復した者
- 砲兵隊の火砲によって直に敵の1両の重戦車もしくは中戦車、または2両の軽戦車(装甲車)、また砲手隊の一員として敵の2両の重戦車もしくは中戦車、3両の軽戦車(装甲車)を撃破した者
- 砲兵隊の火砲もしくは迫撃砲によって敵の火器を撃破し、我々の軍の上首尾の行動を保障した者
- 砲兵隊の火砲もしくは迫撃砲によって最低3基の敵の砲台を沈黙させた者
- 砲兵隊の火砲によって最低2機の敵航空機を撃破した者
- 自軍の戦車によって最低3基の敵の火点を撃破し、それによって我々の歩兵の進攻を援助した者
- 戦車の搭乗員として、3つの敵の火器および兵力の殲滅における軍の任務を上首尾に完遂、もしくは戦闘において3両の敵戦車もしくは3基の火砲を撃破した者
- 敵の砲火の中、敵によって損傷を負った2両の戦車を戦場より撤退させた者
- 擲弾、火炎瓶もしくは爆発物の包みによって、戦場、もしくは敵の背面で敵軍の戦車を撃破した者
- 敵によって包囲された部隊もしくは分隊を指揮し、敵を打破、自身の部隊(分隊)を装備もしくは軍需物資を失うことなく包囲より脱出させた者
- 敵の射撃陣地へと潜入し、敵の最低1基の火砲、3挺の迫撃砲もしくは3挺の機関銃を破壊した者
夜間に敵の哨兵(巡察隊、潜伏斥候)を排除、もしくは捕縛した者
- 個人の武器で1機の敵の航空機を撃墜した者
- 優勢な敵軍と戦闘を行い、寸土たりとも自軍の陣地を引き渡さず、敵に大きな損耗を強いた者
- 困難な戦況の下、司令部の部隊、戦闘の指揮官との一貫した連絡を準備、支援し、それによって我々の軍の作戦の成功を援助した者
- 軍艦、航空機、もしくは沿岸砲台の人員として、敵の軍艦もしくは1隻の輸送艦を戦列より奪取、もしくはそれに損傷を与えた者
- 敵の輸送艦を奪取し、自軍の基地へ回航せしめた者
- 時宜に適した敵の発見により、艦、基地への攻撃を阻止した者
- 敵艦の撃沈もしくは損傷によって、上首尾の航行を保障した者
- 的確で正確な行動により艦(戦闘部隊)の行動を保証した者
- 部隊、兵団、軍の一貫した物理的・技術的な保証を準備し、それによって部隊、兵団の成功を助成した者
祖国戦争勲章の授与は、新たな勲功のたび繰り返された。
第1級祖国戦争勲章は佩用者によって右胸に着用され、アレクサンドル・ネーフスキイ勲章の後に位置づけられた。
第2級祖国戦争勲章は右胸に着用し、第1級祖国戦争勲章の後に位置づけられた。
戦勝40周年の授与
1985年、ファシズムに対する勝利40周年を祝賀し、当時存命だったすべての軍参加者が祖国戦争勲章で叙勲された。ソ連最高会議幹部会の1985年3月11日の布告には、祖国戦争勲章の授与が記された。第1級祖国戦争勲章の授与対象は、
- ソ連邦英雄、大祖国戦争参加者
- 栄光勲章の3つの級の受章者
- 出征軍、パルチザン組織の構成員として、もしくは大祖国戦争の期間、軍から独立した地下活動において、大祖国戦争に直接参加した元帥、将軍、提督
- 出征軍、パルチザン組織、もしくは地下活動の中で、大祖国戦争に直接参加し、戦闘で負傷し、大祖国戦争の時期にソ連の勲章もしくは「剛毅」「ウシャコーフ」「戦功」「ナヒーモフ」「祖国戦争パルチザン」メダルによって叙勲された者
- 戦闘中に負傷した大祖国戦争の傷痍軍人
第2級祖国戦争勲章の授与対象は、
- 布告における第1級祖国戦争勲章の授与対象に該当しない、出征軍、パルチザン組織もしくは地下活動において大祖国戦争に直接参加した者
ソ連最高会議幹部会の布告は、日本との戦争の参加者にも及ぶとされた。
祖国戦争勲章の形状
祖国戦争勲章は、ルビー色のエナメルで被覆された浮彫の五芒星、赤い星の末端を間に挟む形で五方向に広がった光背によって表される。赤い星の中心には、「祖国戦争」の碑文と下部には小さな星を刻まれた白いエナメルの環と、環に取り巻かれた、鎌と槌があしらわれたルビー色の円形のプラスチックが嵌め込まれていた。星の光背の端には、小銃とシャーシカ(革鞘入りの剣)が交差した形で表されている。小銃の銃床は右下を向き、シャーシカの柄は左下を向いている。
勲章のリボンはモアレのある暗赤色の絹製で、縦に赤い縞が入っていた。