解説
戦間期の軍艦のクラスのように条約で規定されたものではないため、重・中・軽の区分は各国陸軍が各々決めたものであり、何トン以下とか何mm砲以下といった決まりは一切存在しない。
軽戦車は第一次世界大戦後の戦間期から第二次世界大戦初期までは比較的広範に使用された。
軽ければ、より大型の戦車では立ち往生してしまう泥炭地などでも活動でき、空挺作戦や水陸両用作戦にも活用しやすい。
そして、トラクター(牽引車)の技術で開発でき、運用ノウハウの蓄積や訓練にも適当である。
なにより安価で数をそろえられるため、戦間期には多くの国家が熱心に独自開発している。
- 前線では威力偵察や歩兵の火力支援
- 後方では市街地の警備
に充てられた。
機動性のよさ・小回りのよさを生かせるように、というか「弱い」のは最初から解っていたので、正面切っての戦闘には関わらないようにしていたのだ。
第一次大戦では戦車同士の戦闘は殆ど発生しなかったため、いずれ確実に来るとはわかっているものの、各国にはまだ戦車同士がぶつかりあうというビジョンはおぼろげにしか見えておらず、深刻な大不況に喘いでいた各国陸軍は軽戦車を事実上の主力戦車とし、足りない火力を中・重戦車で埋めようとしていた。
だが第二次世界大戦が始まると
- (機動力のために)重武装できず攻撃力が低い
- (機動力のために)装甲が薄くなり防御力が低い
といった短所が改めて浮き彫りになる。
戦車は歩兵に加えて陣地やトーチカ、敵戦車と戦う事が増え、軽歩兵火器からの攻撃にしか耐えられない軽戦車は列強の正規軍同士の衝突にはあまりにも非力だった。
大戦終盤以降には単純な火力なら中戦車に匹敵するものが登場し始めたが、戦車の恐竜的進化は軽戦車であっても例外ではなく、大戦末期の軽戦車は既に大戦初頭の中戦車に匹敵または超える巨体と重量を持つようなものになっていた。
それでもなお歩兵の携帯火器にも対抗できないほどの装甲の薄さは朝鮮戦争やベトナム戦争で能力不足を露呈し、次第に活動の場を狭めていった。
そういった役割なら武装を強化した装甲車(歩兵戦闘車など)で十分だったのである。
ちなみに、軽戦車より小さい物には豆戦車の分類がある。
だがこちらも戦車というにはあまりにも弱すぎ、軽戦車より早期に姿を消している。
こうして、水陸両用戦車や空挺戦車のような軽量さを必要とする一部のニッチを除いて軽戦車は廃れていったが、主力戦車は重量も価格も増していく一方であり、途上国や主力戦車の運用が難しい環境の国では現在でも一定の需要がある。軽戦車と入れ替わるように台頭し始めた装輪戦車も、ある意味では軽戦車の亜種と言える。
近年では即応展開が容易な軽車両の需要の増加、アクティブ防御システムという装甲に頼らない防御手段の登場など追い風になっている状況もあり、再評価されつつある。
例えば、中国では新型車両として15式軽戦車が配備されている。こちらは、普通の戦車では入りにくいどころかエンジンをかける事すら困難な山岳地帯での活動を想定しており、砲塔正面装甲のみ第3世代主力戦車に準ずる防御力があるとされる。
アメリカ軍も歩兵旅団戦闘チームの支援用に40tクラスのM10ブッカーを採用した。
この他トルコ・インドネシア共同開発のMMWT(32tで中戦車と称している)や、フィリピン、インド等でも新たに採用の動きがある。
歩兵戦闘車の武装を強化する形で開発された軽戦車や、逆に軽戦車が歩兵戦闘車などに派生する事もある。
現代的な軽戦車や装輪戦車は、重量増に直結する装甲を除けば、主砲及び火器管制装置、データリンク等、攻撃面では主力戦車に準じるものを有する。この性能向上は砲の軽量低反動化などの技術革新に加えて、「軽」とは現行の60t台にも達した主力戦車との相対的なもので、数字的にはかつての中戦車なみ30t台になっていることによる。
上述したM10ブッカーなどは、全備重量では陸上自衛隊の主力戦車である10式戦車に迫るものである。
なお「軽戦車」や「装輪戦車」という呼称を使うと、予算審議の場で「じゃあ主力戦車は削っていいですね」という方向に持っていかれかねないので、採用にあたっては何かしら新しいカテゴリを作ることも多い。例えばM10ブッカーは「戦車並みの能力はない」事を強調して「戦闘車(Combat Vehicle)」と呼称している。