概要
1935年にチェコ・シュコダ社がヴィッカース6トン軽戦車を参考にして開発した軽戦車で、チェコでの正式名称は「LT vz.35」。
1938年のドイツによるチェコ併合により、大半がドイツ軍に接収され「Pz.Kpfw.35(t)」、35(t)戦車に改称された。
(t)はチェコ製であることを表す形式記号。
故障がちではあったが軽戦車としての性能は申し分なく、同じく接収したCKD社製の38(t)戦車と共に戦車不足に悩まされていた第二次世界大戦初期のドイツ軍にとって貴重な戦力となり、訓練用のI号戦車やII号戦車よりも兵士たちには好評であった。
しかしリベット止めの装甲は、被弾の際にそれが車内に飛び散り乗員に被害をもたらす危険性もはらんでいた。
LT vz.35のチェコスロバキア軍での評判は悪く、初期に生産されたものは不良が続発したことから、量産開始から2年で量産停止が言い渡され、代替となる戦車の開発が要求された。この要求に応えてシュコダ社のライバルであったCKD社が開発したのがLT vz. 38(ドイツ名38t)戦車)であった。CKD社もLT vz.35の改良型を提出していたが、比較審査の結果CKD社の案に敗れた。
このようにチェコスロバキアでは「失敗作」扱いだったLT vz.35 も戦車不足に悩んでいたドイツ軍では信頼性に不安を抱えながらも活用されることになる。LT vz.35は vz.38と別の工場・別の生産ラインで量産されていたのでvz.38の方が優秀と分かっていてもそちらに量産を切り替えるわけにもいかなかった。
ポーランド戦線やフランス戦線で活躍した後、ソ連侵攻作戦(バルバロッサ作戦)にも投入されたが、冬の東部戦線では寒さにより空気圧式の変速およびブレーキ機構に作動不良が頻発して問題となり、38 (t)戦車と比べてあまり活用されなかった。走行性能に問題があったことから38 (t)戦車のように自走砲のベースに使われることもほとんどなかった。1941年頃には第一線を退き、砲牽引車などに改造された。
チェコ併合以前にルーマニアにも輸出され、同国では「R-2」軽戦車として使用されていた。
また、シュコダ社ではLTvz.35の設計を拡大・発展させた試作中戦車として「T-21」が開発され、ハンガリーの「40Mトゥラーン」戦車の原型となった。