概要
チェコのT-21
LTvz.35を製造したチェコのシュコダ社は1935年以降にS-Ⅲ中戦車の開発を進めていたが1937年にプロジェクトが放棄されている。これに続きシュコダ社はCKD社と共同開発でチェコスロヴァキア陸軍の新型歩兵戦車を開発することとなる。SP-Ⅱc中戦車と呼ばれた本車は1938年に行われたチェコスロヴァキア陸軍の新型中戦車選考試験に間に合わせたかったが、試作車はそれまでには完成せず試験は受けられなかった。いつ完成させたかは判然としないが、少なくとも1939年には完成したと思われ名称も『T-21』に変更されている。
ハンガリーの中戦車として
T-21中戦車は試験を受けることができず当然正式採用もされることはなかった。しかし、ある転機が訪れるドイツと同盟を結んでいたハンガリーが38Mトルディー軽戦車に代わる新たな中戦車の導入を模索していた。ハンガリーとしてはドイツのIII号戦車のライセンス生産を求めたが断られてしまいドイツの薦めでT-21の提供を受けることとなる。
T-21からトゥラーンへ
1940年2月にドイツ軍当局はシュコダ社のT-21のハンガリーに対するライセンス権を与えることを認証した。しかし、T-21では要求性能に達していないため、主砲を51口径40mm戦車砲A-17に変更の上1940年8月に『40Mトゥラーン中戦車』(トゥラーンI)として正式採用される。しかし、本車は仕様の変更や新型装甲板の製造等の諸事情により生産が遅れてしまい量産車の軍への引き渡しは1942年5月であった。1944年まで生産が続けられ285輌が生産された。
トゥラーンの派生
1942年5月には主砲を25口径75mm戦車砲41Mに変更した『41Mトゥラーン重戦車』(トゥラーンII)が正式採用され、こちらも40M中戦車と同時生産されている。
1943年2月にハンガリー軍の実戦経験を基にさらなる改良をした『43Mトゥラーン重戦車』(トゥラーンIII)の開発が開始されたが量産には至っていない。
ドイツのIII号突撃砲に触発され、トゥラーンⅠの車体をベースに40/43M105㎜榴弾砲を搭載した『ズリーニィ突撃砲』がある。
実戦
トゥラーンIはトゥラーンIIと共にハンガリー陸軍第1、第2機甲師団や第1騎兵師団などに配備された。本車の初陣は1944年4月のコロミヤ地区におけるソ連軍に対する反撃作戦であった。作戦参加した第2機甲師団の100輌のうち30両が撃破または鹵獲されている。また1944年7月10~15日の北部ガリシア地区、ルニネク~ブレスト間の防衛戦闘に参加し全滅している。ドイツ軍側に最後まで付き従ったハンガリー軍部隊も本車を装備しておりオーストリアやチェコスロヴァキアまで後退した上1945年4月に降伏した。