概要
開発経緯
1939年9月の第二次世界大戦勃発からヨーロッパを電撃戦で席捲したドイツ軍機甲部隊は、主砲に 50mm 砲あるいは 75mm 短身砲を装備したⅢ号戦車やⅣ号戦車を投入していた。一方アメリカ陸軍は、装甲車両は約400輌を数えていたが、その大部分はM1軽戦車とM2軽戦車を主体としており、数十輌の37mm 砲と機関銃8挺を搭載したM2中戦車が残りを占めていた。 1940年6月にフランスが敗北すると、アメリカ陸軍では戦車部隊を発足させる計画が開始された。それまで別々だった歩兵戦車隊と騎兵機械化部隊の統合が行われた。1940年8月にクライスラー社に対しM2中戦車を1000輌生産する契約を交わしたが、同月に米陸軍機甲部隊司令官と兵器局代表者の会議が行われ、新しい中戦車の仕様書が検討されポーランドやフランスでの戦訓を受けて、75mm 砲搭載や装甲強化が盛り込まれることとなり、M3中戦車を生産することとなった。
経験不足を補う
しかし、今まで中戦車といえばM2中戦車しかなく、75mm砲を搭載可能な大型砲塔、砲塔リングなどを至急に設計するには兵器局は経験不足であった。そこで、大型砲塔が開発されるまでの繋ぎとして、T5中戦車の車体前面右側に 75mm軽榴弾砲を装備するテストを行っていたT5E2中戦車の設計がM3中戦車に継承された。結果、車体前面右側に75mm砲、砲塔に37mm砲という珍妙な姿となった。
実戦
M3中戦車はレンドリースされ北アフリカの砂漠でイギリス軍の巡航戦車として活躍した。当時のイギリスの戦術思想により2ポンド砲や6ポンド砲を装備したイギリス製巡航戦車は榴弾を発射できず、これは当時深刻な問題となった。その点、強力な榴弾を発射でき、かつ対戦車戦闘でも有効な75mm砲を装備した本車は大変よろこばれた。同時期に導入されていたクルセーダー巡航戦車よりも機械的信頼性が高かったようである。
ソ連にもレンドリースされたが、シルエットが高く敵から発見されやすい等の問題点が多く、「七人兄弟の棺桶」などと呼ばれ評判は良くなかった……とされているが、これはソ連が国産戦車の面子を保つため、レンドリースされた戦車を貶めたからでもあるらしい(供与されたチャーチル歩兵戦車の戦果がKV-1の戦果として発表されていたケースもある)。実際のところは機械的信頼性の高さと榴弾を撃てる75mm砲のおかげで、歩兵支援にはそれなりに重宝されていたようだ。
余談
- ちなみに、主砲は車体の75mm砲で、砲塔の37mm砲は副砲扱い。
- 「グラント」と「リー」という2つの愛称があるが、イギリス向けの仕様で生産されたものを南北戦争時の北軍将軍ユリシーズ・S・グラントから、アメリカ陸軍向けの仕様のままでイギリス軍に配備されたものを南軍の将軍ロバート・E・リーからそれぞれ名前を取って命名された。
- あくまでもイギリス軍での愛称であったが、アメリカ軍でも現場では非公式愛称として用いられており、南部出身者はM4シャーマンよりも本車を愛用していたといわれている。
登場作品
北アフリカ戦線で孤立したM3中戦車「ルル・ベル」号の乗員たちが主人公。
- ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火
- コンバットチョロQシリーズ
リー・グラント両車が登場するが、グラントはそこそこな耐久性を有するのに対し、リーのほうはなんと一撃で撃破できる紙耐久と相当な格差がある。
そのためか某動画サイトでは魔改造されたM3リーが大暴れする動画が複数投稿されている。
国府軍の主力戦車として登場。グラント仕様でサンドスカートがついているが、砲塔のみリーのものになっている。車体後部に代燃炉を装備している。
第1話では廃墟となった村落の前に放棄された残骸として登場。その後第9話で要塞都市に侵攻する革命軍戦車隊を迎撃するために出動するが、射程外から一方的に攻撃され全滅するなど散々な扱いだった。
一年生チーム(ウサギさんチーム)がリーの方を使用している。
劇場版では「1941」らしき映画を見るシーンがある。