ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

ルノーAMR35

るのーえいえむあーるさんごう

フランス軍で使用された軽戦車である。ちなみにAMRは『Automitrailleuse de Reconnaissance』の略で 日本語で偵察用装甲車両の意である。尚、本項目ではAMR33についても記載する。
目次 [非表示]

開発編集

1930年代のフランスは歩兵車両と騎兵車両に分け歩兵科と騎兵科の各兵科で戦車の

運用をしていた。そんな1930年代の初頭に騎兵監部からルノー社に騎兵隊用装軌装甲車の

要求仕様書が出され設計開発がスタートすることとなる。

1932年に試作型である『VM型』が5両完成する。この5両はそれぞれ異なるサスペンション

構造を有しており比較試験の結果、79757号車のサスペンション構造を採用し量産に向け

数か所を手直しを加えたものが1933年『AMRルノー1933年型(AMR33)』としてフランス陸軍に

正式採用される。1935年には『ZT型』が完成し『AMRルノー1935年型(AMR35)』として

正式採用される。AMR35軽戦車は、AMR33軽戦車よりやや車体サイズが拡大されて乗員の

居住性が向上し、観測装置も改善され機関室の整備性も向上していた。車体サイズの拡大に

よって重量がAMR33軽戦車より1t程度増加したため、エンジンはより排気量の大きいものに

換装され、サスペンションも強度と緩衝能力が強化されていた。


評価編集

AMR33は、1933年中に123両が製造され騎兵連隊に順次配備が進められた。

騎兵科では好評で迎えられ、本車は優れた足回りと軽武装であったかとから

主に偵察の任務に使用された。

AMR35が採用されるようになってからは13.2mmオチキス重機関銃を搭載した

砲塔のモデルが開発されるなど火力面の改善も試みられた。


フランスの降伏編集

1940年6月22日のフランス降伏後、生き残ったAMR33とAMR35の各軽戦車は

ドイツ軍に接収され、AMR33軽戦車は『装甲偵察車AMR33(f)』、

AMR35軽戦車は『装甲偵察車AMR35(f)』の捕獲兵器名称を与えられた。

AMR35(f)装甲偵察車の一部の車両は、1943~44年にかけて

14口径8cm重迫撃砲sGrW34を搭載する自走迫撃砲

『8cm Schwere Granatwerfer 34 auf PzSpWg AMR35(f)』に改造されている。


関連タグ編集

軽戦車 フランス

ルノーR35…同時期に製造された軽戦車。

関連記事

親記事

軽戦車 けいせんしゃ

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 282

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました