テトラーク軽戦車
てとらーくけいせんしゃ
開発経緯
イギリス陸軍では、機関銃を装備した軽戦車のシリーズが運用されていた。
一方で本格的な巡航戦車としてクリスティー戦車を基に開発された一連の巡航戦車は大型化が進んでコストも高く使用できる状況が限られるという問題があった。一方でより軽量な軽戦車Mk.VIは武装が機関銃しかなく、発展の余地も限られていた。
そこで軽戦車と巡航戦車の間を埋めるべく新型軽戦車が開発されることとなり、その新型軽戦車「テトラーク」は14㎜の装甲厚に40㎜砲(2ポンド砲)を搭載し足回りもこれまでの軽戦車のホルストマン式からクリスティー式にするなど強力な軽巡航戦車としてヴィッカース社から1936年9月に戦時省にプラン提出がなされた。
戦時省は本プランの不整地走行性能と巡航速度に不安を示すも『A17』として開発を認めることとなる。
社内におけるコードネームは『プルダ』または、『PRタンク』と呼ばれた。
テトラークの走行装置はオリジナルのクリスティー式とは異なる独特なもので、履帯の連結機構に柔軟性を持たせることで、転輪の向きを左右に変えて履帯をねじるように変形させて方向転換を行うという珍しい機構を採用していた。
重量7.6トンと軽く、寸法も小さいことから輸送グライダーの格納庫に収めて前線に降下させる空挺戦車としても利用できた。
開発から生産開始まで
1937年12月にプロトタイプが完成し、イギリス軍による試験が1938年6月から行われた。
試験の結果から、不整地走行に適していないこと、砲の安定性は申し分ないもののサスペンションに不安があること、トランスミッションの騒音が偵察に影響するなどの問題点が挙げられた。また、アフリカでの使用が提案されたため、冷却システムの改良がなされるなど、問題点の改修は1940年まで続いた。
そして同年にイギリス軍から120両の生産発注を受けることとなる。
生産の遅延による旧式化
ようやく生産にこぎつけたが、本車のその複雑すぎる機構が災いし生産が遅延する事態となった。また、エルヴィック工場が爆撃され生産不可能になるといった不運も重なり発注数が70両にまで減らされることとなる。(後に100両にまで受注数は回復する。)
こうした遅延の結果、完成時点で旧式化は否めずヴィッカース社は本車の発展型としてハリー・ホプキンス軽戦車の開発をすることとなる。
実戦投入
初期ロットの20両がソ連に援助として送られ南コーカサスの戦闘に参加している。
また、1942年5月からのマダガスカル島上陸作戦にも半個中隊規模が実戦投入されており、好成績を収めている。
本国に残された車両はイギリス空挺部隊に移管され、1944年6月のノルマンディー上陸作戦に大型グライダーと共に6両が実戦投入された。
1945年3月のライン川渡河作戦にも少数が投入された。
1950年に空挺部隊のグライダーが退役したため本車も退役となった。