概要
輸送ヘリコプターや輸送機に搭載(空輸)しパラシュート降下するため車体重量が抑えられており、装甲は薄い傾向がある。
(もしくはモジュール式装甲として後付けにする)
戦車として防御力に乏しいという事は、戦車と同じ使い方はできないという事でもある。
戦車の一番の特徴とは、すなわち『高い火力と高い防御力を両立している』という事であり、
この防御力の低さは戦車としての運用に問題を課した。
- 空輸しようとするなら、重量は規定に収めなくてはいけない。
- 重量を規定に収めようとすると、防御力に「しわ寄せ」がいく。
- 防御力を高めようとすると、今度は重くなって結局ふつうの戦車と変わりが無い。
結局は本格的な戦車のような防御力は期待できないのだ。(スティングレーの前面装甲も「20㎜機銃に耐えられない」のだとか)
また、いざパラシュート降下したら着地の衝撃で損傷・故障する事態も続出した。軽いとはいえ所詮は戦車であり重量物である以上、パラシュートをもってしても着地の衝撃を和らげるのは無理があったのだ(旧ソ連はこれを解決するため逆噴射ロケットまで使おうとしたほど)。
要は『いくら空挺降下できても、肝心の戦車としては弱すぎるし、そもそも空挺降下に使うこと自体無理がある』とされ、経費削減も兼ねて「このテの戦車」は装甲車へと統合される事になった。
また砲塔が存在しない空挺自走砲も存在する、こちらも砲を旋回できないという点以外空挺戦車と変わらない。
ちなみに現在では、60tクラスの主力戦車でも空輸だけならすることは可能である。
ただし大型輸送機でも積めるのはせいぜい1、2両だけであり(例えばC-17輸送機の最大搭載能力は77t、より大型のC-5輸送機でも122t)、コレをやろうとすると戦車1両に輸送機1機を割り当てなくてはいけない。
現代のアメリカでは1個中隊は3個小隊(4台)+本部(2台)なので、C-17で全部空輸しようとすれば14機が必要になる。
いくら速いとはいえ、戦車中隊一つにこれだけの輸送力を取られるのは負担が大きいので、戦車の大規模輸送は基本的に船舶やトレーラーで行われる。
ロシアの空挺戦車(対戦車自走砲)
ロシアにはまだ現役で存在した。正確に言えば戦車ではなく対戦車自走砲だが
2S25や2S9・ASU-85・ASU-57これらの兵器が存在したロシア/ソビエト空挺軍にて運用される。
なぜ他国にはもう残らない空挺戦車がロシアには残っているのかというと、ロシアの空挺部隊の運用方法が西側とは違うため。ロシア空挺部隊は敵の重装備を有する部隊と交戦する可能性も考慮され最新型では125mm滑腔砲を装備しており、重武装である。
もちろん空挺のため、装甲は薄く左右40°まで12.7mmの機関銃の銃撃に耐えるくらいである。
装甲が薄く戦車として運用することができないためにロシアでは自走砲として扱っている。一部では空挺戦車とも呼ばれている。
なぜATGM(対戦車ミサイル)を使わないか
当然この種の空挺戦車の開発は止まった。理由としては対戦車火器の主流が砲からミサイルに移って言ったためである。しかし、技術の発達によりセラミックを用いた複合装甲が登場しATGMに使われるHEAT弾では複合装甲を撃ち破ること困難になり、運動エネルギー弾が最も有効な対戦車火器となった。そのために120mmライフル砲や125mm滑腔砲を搭載した空挺対戦車自走砲が登場した。
主な空挺戦車
- M551 シェリダン最も有名な空挺戦車の一つ。
- M41 空挺専用ではないが車体が軽いため航空機輸送された軽戦車。
- スティングレー 空挺専用ではないが、開発時に航空機輸送も想定していた軽戦車。
- テトラーク 第二次大戦時にイギリス軍が開発した軽戦車。足回りが特徴的。本来は空挺戦車として開発されたものではないが、英軍空挺部隊がグライダーに搭載して運用した。
- M22 第二次大戦時に米軍が開発した空挺戦車。しかし当時の米軍には空挺奇襲装備として運用する装備が無く、供与された英軍空挺部隊で「ローカスト」の名称でテトラークと共にグライダーで運用された。
- 二式軽戦車ケト 帝国陸軍九八式軽戦車ケニの改良型。空挺戦車としての運用計画もあったが戦局の悪化で実現せず、本土決戦用に回された。もちろん使われず終い。