特三号戦車
とくさんごうせんしゃ
イギリスが「塹壕突破用の秘密兵器」として陸上戦艦と銘打って、(自動車としての)戦車という兵器を世に送り出してから数十年。
当時は「ま~たイギリスが変なもん作りやがった」くらいに思われていなかった兵器だが、その機動力・防御力・攻撃力で瞬く間に陸戦の花型となった。
何しろ、硬くて強くてしかも威圧感満点なのである。弾撃たなくても戦車というでかい鉄の塊が迫ってくるだけで相手をビビらせることができるのだ。
強固な装甲を活かして歩兵にとっての「動く盾」ともなる。
強力な砲は文字通りの決戦兵器になりうる。
陸戦に関してはこいつ一台で十分なんじゃないかな。
そうして「紳士の奇行、もとい対塹壕用の隠し球」から「陸戦の主役」となった戦車はカンブリア紀の生物のごとく様々な可能性を模索し進化・分化していった。
あるものは暴徒鎮圧と割りきって「見た目だけでも強そうなお手軽AFV」に。
あるものは「陸上戦艦」のコンセプトを究極にまで突き詰めた存在へと。
あるものは「塹壕対策」という原点回帰で冗談のような長い車体へと。
一方、アメリカで自転車屋の兄弟がライトフライヤーを使って動力飛行に成功。
ついに人類は空すら利用できるようになったのだ。
それは軍事目的でも例外ではない。
ここで誰かがこんなことを考えた。
「陸戦最強の戦車を空から送り込んで敵陣を奇襲したら強そうじゃね?」
そんな発想から生まれた徒花の一つ、それがこの「特三号戦車」である。
1943年、日本陸軍は初の空挺部隊である「滑空歩兵連隊」を結成した。
ただ、この部隊は今のような「パラシュートで降下する空挺部隊」ではなく、「軍用グライダーで降下する空挺部隊」である。
軍用グライダーの積載能力を活かし、強力な火砲を持ち歩くことで高火力を迅速に展開することができた。
しかし、持っていくのはAFVではなく「火砲」である。これでは地上に降りてからの移動力はお察しくださいとしか言えないし、何より防御力は紙である。
できればAFV、それも戦車を持ち歩けるのが理想である。
だが彼らが使用していたグライダーである四式特殊輸送機には、戦車を積めるほどの搭載力はない。
さて、どうする?
「戦車をグライダーに積めないのなら・・・戦車を飛ばしてしまえばいいんだ!」
こんな発想から生まれたのが特三号戦車である。
九八式軽戦車をベースに、乗員を2名に減らし軽量化しつつ扱いやすさを向上。
そればかりか装甲も「軽量化」され、文字通りの紙装甲に。
そうして徹底的にダイエットした九八式に、飛行機のような主翼と尾翼、そして離着陸用のソリを取り付けた(履帯では抵抗が大きすぎて滑走に支障が出る)。
こいつを九七式重爆撃機などで曳航して目標上空まで飛行、目標上空に差し掛かったら切り離して滑空して敵陣に突入するというものである。
武装はベースとなった九八式と同じ37mm砲を搭載するが、火炎放射器を採用する予定もあった。
さて、試作車を実際に作ってみて飛ばしてみたら・・・。
なんだこれ。
全くもって使えない。
操作性がとにかく劣悪であり、普通のグライダーのようにスムーズな滑空はまず不可能で、せいぜい母機に曳航された上で目標地点に「緩やかな墜落」が可能なだけであった
曳航する母機の方も過大な戦車の重量と空気抵抗のため飛行維持がやっとという状態で、曳航中はまともに機動ができる状態ではなかった。敵に捕捉されれば目標地点に到着する前に母機ごと撃墜されるであろうことは明らかだった。
しかも「戦車を飛ばす」という発想を実現するために装甲も最小限のものにとどめた、つまり紙装甲なので苦労して地上にたどり着いてもあっさりやられてしまう。
制空権も確保できないのにこんなの投入したら、わざわざ死ににいくようなものじゃないか。
こんなキテレツ戦車を作るよりも、信頼と実績の普通の戦車を作ったほうがいいだろうということになり、特三号戦車はお蔵入りとなった。
ソ連でもアントノフA-40なる、似たようなコンセプトの戦車が開発されていた。試験飛行で母機ごと墜落しかけてお蔵入りに。
アメリカのクリスティー戦車も、1930年代前半には飛行させて奇襲に用いようという構想があった。グライダー型に加えて、動力付き(車体のエンジンを繋ぎ変えてプロペラを駆動)のタイプも設計された。
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