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アントノフ設計局

1952年、ソ連でオリェーク・コンスタンチーノヴィチ・アントーノフにより設立された設計局。

主に輸送機旅客機などの設計を行っている。

1982年、大型輸送機「An-124ルースラン)」が初飛行。量産機としては世界最大。

1988年、超大型輸送機「An-225ムーリア)」が初飛行。史上最大・最重量・最長の飛行機となった。

1991年のウクライナ独立後は企業として再編されてANTKアントーノウとなり、2005年に他のウクライナの航空機関連企業と統合されアントーノウ国営合同となった。

2014年、ロシアがウクライナに侵攻し、ドンバスクリミアを占領(ウクライナ紛争)。関係悪化によりロシアの工場で作っていた航空機のパーツが届かなくなり、アントーノウ国営合同は生産停止状態となる。

2016年、アントーノウ国営合同は解体され、アントノフを構成していた3つの企業はウクライナの国営軍事企業ウクロボロンプロムの傘下となった。

2024年に国営企業「アントノフ」は株式会社「アントノフ」になった(株式は100%国有)

主な製品

An-2 An-12 An-14 An-22 An-70 An-124 An-225

エンジニアのアントノフ

オリェーク・コンスタンチーノヴィチ・アントーノフ(1906年2月7日~1984年4月4日)

ソビエト連邦の航空機設計者。アントノフ設計局を設立した。

来歴

1906年2月7日、モスクワ近郊のトロイツィ村で誕生。父・コンスタンティンは土木技師であった。

1912年、サラトフに引っ越し工業学校に通った。子供の頃から飛行機が好きだった。

1915年、両親を喪う。

1917年、十月革命ボリシェヴィキが政権奪取。

1922年、ソビエト連邦が成立。

1923年、「アマチュア・アビエーション・クラブ」と「空軍友の会」を主宰。グライダーOKA-1「Pigeon」を設計した。

1930年、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)のカリーニン工科大学を卒業。

1943年、ヤコブレフ設計局を手伝いに行き、Yak-1を改良した軽戦闘機を開発。1944年にYak-3として採用された。

1946年、キエフキーウ)で第153試作設計局(OKB-153)を設立。

1952年、第153試作設計局を第473国営特別試作設計局(GSOKB-473)に改称。

1966年、第473国営特別試作設計局をキーウ機械工場(KMZ)に改称。

1968年、ソビエト連邦科学アカデミー会員となった。

1983年、キーウ機械工場をO・K・アントーノフ設計局(OKB O.K.アントーノフ)に改称する。

1984年4月4日、死去。

「THE KING OF FIGHTERS」のアントノフ

「KOF XIV」の中ボスで、同作の大会主催者。→アントノフ(KOF)

アントノフ
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