曖昧さ回避
- スラブ系の姓(男性形)。女性形は「アントノヴァ」となる。
- アントノフ設計局。ソ連の航空機設計局。
- オリェーク・コンスタンチーノヴィチ・アントーノフ。ソ連の航空機設計者でアントノフ設計局を設立した。
- 格闘ゲーム「THE KING OF FIGHTERS XIV」のゲームキャラクター。
アントノフ設計局
1952年、ソ連でオリェーク・コンスタンチーノヴィチ・アントーノフにより設立された設計局。
1991年のウクライナ独立後は企業として再編されてANTKアントーノウとなり、2005年に他のウクライナの航空機関連企業と統合されアントーノウ国営合同となった。
2014年、ロシアがウクライナに侵攻し、ドンバスとクリミアを占領(ウクライナ紛争)。関係悪化によりロシアの工場で作っていた航空機のパーツが届かなくなり、アントーノウ国営合同は生産停止状態となる。
2016年、アントーノウ国営合同は解体され、ANTKアントーノウはウクライナの国営軍事企業ウクロボロンプロムの傘下となった。
主な製品
An-2 An-12 An-14 An-22 An-70 An-124 An-225
エンジニアのアントノフ
オリェーク・コンスタンチーノヴィチ・アントーノフ(1906年2月7日~1984年4月4日)
ソビエト連邦の航空機設計者。アントノフ設計局を設立した。
来歴
1906年2月7日、モスクワ近郊のトロイツィ村で誕生。父・コンスタンティンは土木技師であった。
1912年、サラトフに引っ越し工業学校に通った。子供の頃から飛行機が好きだった。
1915年、両親を喪う。
1922年、ソビエト連邦が成立。
1923年、「アマチュア・アビエーション・クラブ」と「空軍友の会」を主宰。グライダーOKA-1「Pigeon」を設計した。
1930年、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)のカリーニン工科大学を卒業。
1943年、ヤコブレフ設計局を手伝いに行き、Yak-1を改良した軽戦闘機を開発。1944年にYak-3として採用された。
1946年、キエフ(キーウ)で第153試作設計局(OKB-153)を設立。
1952年、第153試作設計局を第473国営特別試作設計局(GSOKB-473)に改称。
1966年、第473国営特別試作設計局をキーウ機械工場(KMZ)に改称。
1968年、ソビエト連邦科学アカデミー会員となった。
1983年、キーウ機械工場をO・K・アントーノフ設計局(OKB O.K.アントーノフ)に改称する。
1984年4月4日、死去。
「THE KING OF FIGHTERS」のアントノフ
「見ておけ!宇宙規模の戦いを!!」
「KOF XIV」の中ボスであり、同作の大会主催者でもある。
詳しくはアントノフ(KOF)へジャンプ。