ライト兄弟
らいときょうだい
「ライト兄弟」と言われる時は通常、1867年生まれのウィルバー・ライトと1871年生まれのオーヴィル・ライトを指すが、その上に2人の男兄弟と、末っ子に女きょうだいのキャサリン・ライトがいる。そのほか2人が小さいときに亡くなっているため、最終的に5人きょうだいとなった。
ライト兄弟以前にも動力飛行機を開発した技術者はいたが、飛行(ジャンプではなく完全に地面と平行に飛ぶ)に成功してしっかり着陸できた固定翼機は彼らの開発したライトフライヤーが初めてである。
しかしその後の二人を待っていたのは他の技術者からの嫉妬と妨害、そして度重なる特許紛争だった。
特にスミソニアン協会の会長であるチャールズ・ウォルコットは、前任者のラングレーが失敗した動力飛行を成功させた兄弟に対して強い敵意を向け、スミソニアン博物館の航空技術史にライトフライヤーを展示しなかった。
こうした争いの最中、周囲では航空技術は目覚ましく進歩していき、飛行機の発明者であるライト兄弟は時代から置き去りにされてしまった。度重なる心労が祟ってか、ウィルバーは1912年に腸チフスで死去。
そればかりかウォルコットは1914年にはラングレーの飛行機を大幅に改良して飛行実験を成功させ、ほぼ別物の飛行機であったにもかかわらず「飛行機の発明者はラングレーである」として宣伝した。
しかし残ったオーヴィルに手を差し伸べる者がいた。
イギリスの科学博物館がライトフライヤーを展示させてほしいと申し出たのである。
スミソニアンに怒り心頭のオーヴィルはこれを受諾、アメリカの世論に「アメリカ人による偉大な発明品がイギリスへ渡ってしまった」という怒りが沸き起こり、その矛先はスミソニアン協会にも向いた。
これがきっかけとなり、オーヴィルは1942年にスミソニアン協会から謝罪の言葉を引き出し、二次大戦後の1948年にようやくライトフライヤーはアメリカに戻った。
45歳という若さで死んだウィルバーに対し、オーヴィルは76歳まで生きた。
しかし上記の壮絶な特許紛争に加え、第二次大戦で飛行機が大量破壊兵器に変貌していくのを見てしまったため、晩年には飛行機を発明したことを後悔していたという。
尚、彼等は2人とも無性愛であったとされ、女性や結婚にまるで興味を示さず、生涯独身であり子孫はいなかった。
お笑いコンビ「ダウンタウン」の旧コンビ名でもある
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