概要
マイケル・ファラデーの師でもある。
アルカリ金属やアルカリ土類金属をいくつか発見したことで知られる。
独学で元素論を学び、弱冠23歳にして研究が評価され王立研究所に招聘される。
42歳ではついにロンドン王立協会の会長に就任した。
また、王立研究所の講演では後の物理学者であるマイケル・ファラデーが聴きに来ており、後に彼を王立研究所の助手として招き入れることとなった。
しかしファラデーがデービーの理論を発展させ、様々な賞賛をうけるようになるとデービーはこれを快く思わず、無実の罪を着せようとしたり王立協会の会員になることを反対するなどの行動を起こしている。
しかし後にデービーは、「自分は科学者として様々な発見をしたが、最も偉大な発見はマイケル・ファラデーだ」という言葉も遺している。