概要
ジョン・モーゼス・ブローニング(1855年1月23日~1926年11月26日)
アメリカの銃器エンジニア。 19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍し、自動拳銃、散弾銃、小銃、機関銃、自動小銃、弾薬などの分野で画期的な製品を開発した。
来歴
1855年
オグデン(ユタ州)で5人兄弟の長男として生まれる。父ジョナサンは銃器エンジニアであった。18歳の頃から父の仕事を手伝う。
1879年
妻レイチェルと結婚。父が亡くなった。レバーアクション式単発ライフルを開発し特許を取得した。父の店を引き継ぎ、兄弟で話し合った結果、以後は銃の修理とジョンが開発したライフルの販売をしていく事に決まった。
1882年
開発したライフルを地元で販売し評判となる。ウィンチェスター社のセールスマンがこれに目を付け、社長のトーマス・G・ベネットに郵送したところ、社長自らがジョンと会うためオグデンへやってきた。ウィンチェスター社が特許と在庫を8,000ドルで買い取り、1885年よりウィンチェスターM1885として販売。
1883年
ウィンチェスター社に特許を売却した利益で「ブローニング兄弟商会」を設立し、その後もウィンチェスター社に開発したライフルやショットガンを売り込んだ。一方で給弾機構「ガス・オペレーション」(ガス圧作動方式)を発明し、それを採用した機関銃を開発。軍用銃器メーカーとして有力なコルト社へ売り込み、コルト本社に何度も訪れ改良を続けた。
1895年
ブローニングが開発した機関銃が「コルト・ブローニングM1895重機関銃」として販売された。
1896年
ガス・オペレーションを採用したオートマチックピストルを開発。コルト社に売り込み、1897年に販売されたが反動が強過ぎた。そのため発射の際に反動を弱める閉鎖機構を考案し、「パラレル・ルーラー・ロッキング」と「ローテーティング・バレル」で特許を取得。
1898年
後方圧力を利用した給弾機構「ブローバック」を発明し、それを採用したショットガンを開発したが、契約上の問題から関係が悪化していたウィンチェスター社が買取を拒否したことから決別し、レミントン社へ売り込む。しかし提案を行ったレミントン社の社長の急死により契約は白紙に戻る。
1900年
「パラレル・ルーラー・ロッキング」を採用したオートマチックピストルをコルト社に売り込み、コルトM1900として販売された。この後コルト社は多くのオートマチックピストルを販売するが、ブローニングの協力なしでは為しえない事であった。
1901年
以前からブローニングの設計した拳銃を販売していたベルギーのFN社(現・FNH社)が「ブローバック」採用のショットガンの買取に同意。
1902年
「ブローバック」採用のショットガンがFNブローニングオート5として製造開始。FN社との繋がりが深くなり、家族とともにベルギーに移住しFNブローニングM1910の開発に当たった。
1904年
レミントン社がオート5をレミントンM11としてライセンス生産。
1923年
次期制式拳銃を求めたフランス軍の要求を受け、FNブローニングハイパワーの設計を開始。
1925年
上下二連式ショットガンのFNブローニング・スーパーポーズドの設計を開始。
1926年
スーパーポーズドの製品化の進捗を確認するためFN社の工場を見学するが、胸の痛みを訴え倒れ、死去(71歳)。息子のヴァル・ブローニングがスーパーポーズドの設計を完了させる。
1931年
遺作となったスーパーポーズドが販売開始。
1934年
FN社のデュードネ・ヨセフ・サイーブによりFNブローニング・ハイパワーの設計が完成。
余談
- 父ジョナサンはモルモン教徒のため妻が2人おり、兄弟の数が非常に多かった。ジョンもモルモン教徒だったが重婚はしなかった。
- 現代のショットガンの主流となるポンプアクション式(ウィンチェスターM1897)、オートマチック式(FNブローニングオート5)、上下二連式モデル(FNブローニング・スーパーポーズド)を開発し、普及するきっかけを作った。