ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

コルト・ファイヤーアームズ

こるとふぁいやーあーむず

アメリカ合衆国の銃器メーカー。現在は民生部門のコルツ・マニュファクチュアリング・カンパニーのみが営業を続けている。
目次 [非表示]

概要編集

アメリカ合衆国の銃器メーカー。通称「コルト社」

アメリカ国内においてはS&W社と並ぶ大手銃器メーカーであり、アメリカ軍の制式採用銃も数多く生み出してきた。

また、撃鉄をあげることで自動的にリボルバーが回転し次弾を装填してくれるシングルアクション機構と、撃鉄すらあげる必要なく引き金を引くだけで連射が可能なダブルアクション機構を開発したことでも知られる。

一方で、金属薬莢式の銃弾の売り込みに取り合わなかったことで、S&W社に独占使用権を奪われたりと技術的な面で後塵を拝することも多かった。

20世紀末頃からコルト社製品は品質低下が指摘され、国内でもS&W社やスタームルガー社に後れを取り、拳銃の生産からほぼ撤退した形になっていた。

2002年に民生部門のコルツ・マニュファクチュアリング・カンパニーと軍用部門のコルト・ディフェンスに分社した。

コルト・ディフェンスは2013年にアメリカ陸軍からM4カービンの調達契約を打ち切られて業績が悪化し、2015年6月15日、連邦倒産法の適用を申請し倒産した。

2016年に債務不履行により再建計画が破綻したものの、その後なんとか経営を立て直した。

2021年2月12日、CZ75などで有名なチェコの銃器メーカー、CZことチェスカー・ズブロヨフカ・ウヘルスキブロッド(ウヘルスキー・ブロト・チェコ兵器廠国営会社)の完全子会社になる事が発表され、社名が『Colt CZ Group』へ変更された。

買収されて以降の現在では品質や技術の向上に加え、値段も抑えられたAR-15クローンのLE6940が再生産された結果、市場での評判が上々で大口採用が決まったりと経営は上向きになっている。


歴史編集

  • 1836年、サミュエル・コルト(1814年7月19日~1862年1月10日)により、ニュージャージー州パターソン市に設立された「コルト特許火器(Colt Patent Firearms)」を祖とする。
  • 世界初のシングル・アクション式のパーカッション・リボルバーパターソン」を製造・販売するが収益が上がらず、過剰な設備投資もあり1842年に倒産。パターソン市の工場は処分された。
  • 1846年メキシコ戦争が勃発し、テキサス・レンジャーだったサミュエル・ウォーカーは政府にリボルバーの採用を要請した。コルトはウォーカーと面会し、パターソンについての評価を聞き、改善すべき点について話し合った。
  • 1847年、ウォーカーの働きかけにより、政府はコルトにリボルバー1,000挺を発注した。ウォーカーとの話し合いを元に設計された強力なリボルバーは「ウォーカー」と名付けられ、ホイットニー社に依頼して製造された。
  • 1848年、ウォーカーで得た利益により、コルトはコネティカットハートフォード市に自社工場を建て、更に強力なリボルバー「ドラグーン」を開発した。
  • 1849年、持ち運び易いサイズの「ポケット・リボルバー」を開発した。
  • 1851年、パターソンのサイズの扱い易いリボルバー「ネイビー」を開発した。
  • 1850年代に入ると、コルトの持つパーカッション・リボルバーの特許の期限が切れ、他社も競って製造するようになった。この頃、コルト社の従業員ローリン・ホワイトが金属カートリッジを使ったリボルバーを開発したが、コルトは馬鹿にして顧みなかった。ホワイトはコルト社を退社して1855年に特許を取り、1856年に特許の独占使用権をS&W社に与えた。
  • 1860年、ネイビーのサイズで.44口径としたリボルバー「アーミー」を開発した。
  • S&W社に独占された金属カートリッジのリボルバーは、1857年の「モデル1(S&W_M1)」、1861年の「モデル2(S&W_M2)」、1869年の「モデル3(S&W_M3)」と順調に発展を遂げ、卓越した性能を示し、パーカッション・リボルバーのメーカーは苦境に陥ったが、コルト社は特許料を払うのを惜しみ、期限切れになる1869年まで我慢することにした。南北戦争による特需がなければこの時に倒産していたとさえ云われている。
  • 1872年、センターファイア式の金属カートリッジを使用する「シングルアクションアーミー(SAA)」を開発した。コルト社は陸軍のトライアルに参加し、1873年にSAAはM1873として制式採用された。1875年から販売された民生用も大ヒットし、「西部を代表する拳銃」、「ピースメーカー」などと呼ばれた。
  • 1877年、ダブル・アクションのリボルバー「レインメーカー(.32口径)」、「ライトニング(.38口径)」、「サンダラー(.41口径)」を開発した。
  • 1895年、ブローニング社が売り込んできた機関銃を「コルト・ブローニングM1895重機関銃」として製造・販売。
  • 1900年、ブローニング社が売り込んできた自動拳銃を「M1900」として製造・販売。
  • 1905年、ブローニング社がM1900をベースに.45ACP弾を用いる大型拳銃「M1905」を開発。1911年、改良を加えた「M1911」がアメリカ軍に制式採用された。民生用のモデル(「ガバメント」、「コマンダー」、「ナショナルマッチ」)も大ヒット。
  • 1915年、ジョン・ブローニング社が設計した.22LR弾を使用する競技用自動拳銃を「ウッズマン」として製造・販売。65万挺を売る大ヒット。
  • 1917年、第一次大戦でのM1911不足を補うため、.45ACP弾を用いるリボルバー「M1917」がアメリカ軍に制式採用された。
  • 1927年、.38スペシャル弾を使用する小型リボルバー「ディテクティブ・スペシャル」、法執行機関向けのリボルバー「オフィシャルポリス」を開発した。
  • 1955年、.357マグナム弾を使用するリボルバー「パイソン」を開発した。
  • 1959年、アーマライトからアサルトライフルAR-15」の製造権を75,000$で買い取る。AR-15は1961年、アメリカ軍に制式採用され「M16」となった。
  • 1961年、40mm口径のグレネードランチャーM79」がアメリカ軍に制式採用された。
  • 1978年から1988年にかけて、M1911に替わる次期アメリカ軍制式採用拳銃のトライアルが行われ、コルト社は「ダブルイーグル」で参加したが惨敗し、ベレッタ92が「M9」として制式採用された。
  • 1986年、.357マグナム弾を使用するリボルバー「キングコブラ」を開発した。
  • 1990年、.44マグナム弾を使用するリボルバー「アナコンダ」を開発した。
  • 1994年、M16ベースのアサルトカービン「XM4」がアメリカ軍に制式採用され「M4カービン」となった。
  • 2002年、民生部門のコルツ・マニュファクチュアリング・カンパニーと軍用部門のコルト・ディフェンスに分社。
  • 2016年、ディフェンス社が業績悪化により倒産。
  • 2021年、CZ社がコルト社の株式100%を所有を発表。完全子会社化。

有名な製品編集

拳銃編集


小銃編集


その他編集


関連タグ編集

メーカー コルト CZ

関連記事

親記事

銃器メーカー がんめーかー

子記事

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 48573

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました