概要
アメリカ軍は、ボルトアクションもしくはセミオートマチックの小銃が主力火器であった当時、分隊を火力支援するために容易に持ち運べる機関銃のような火器の必要性を感じ、1918年にジョン・M・ブローニングが開発した(当時の)自動小銃と機関銃を合わせたようなM1918を採用した。愛称としてブローニング自動小銃(Browning Automatic Rifle)の頭文字を取ってBARと呼ばれている。
塹壕から塹壕に移動して戦う歩兵部隊を支援するのに有効な火器として、第一次世界大戦で使用された。その後、M1918A1、M1918A2と改良され、A1まではセミオート射撃とフルオート射撃があったが、A2以降はフルオートのみになった。第二次世界大戦、朝鮮戦争等にも使用され、日本にも警察予備隊に配備され、自衛隊へ改編後も62式機関銃と64式小銃ができるまで使用され、現在でも予備装備品として残され教練も行なわれている。
民間型として1931年にコルト社から「コルト・モニター」の名で販売され、現在でもOhio Ordnance Works社等で再生産モデルの販売がされている。
ブローニング社からはBARの名でセミオート狩猟用ライフルが売られているが、まったくの別物となっている。
古いモデルの再生産やリファインを行なっているOhio Ordnance Works社によりHCAR(Heavy Counter Assault Rifle)の名で近代化されたものが発売されている。
クローズドボルト化、緩衝機構の改良や工具なしでの銃身交換機構の排除など大幅に改良が加えられており、中身は殆ど別物となっている。
性能
欠点として銃身が過熱しても交換できず、機関銃としては弾数が少々不足気味で小銃としては多重量で長さがあった。
だが、その重量が逆に射撃時の反動を抑えて安定した射撃ができ、長い銃身によって命中精度は良好だった。また、装弾数は少ないがその分単純な構造で小型のマガジンは信頼性や携行性が高く、他国の多装弾型マガジンと遜色はなかった(多装弾マガジンの欠点に関してはPPSh-41の項を参照)。
何より小銃として運用するならM1ガーランドより弾数が多く、フルオート射撃ができるため重くても使用したがる兵士が多かった。20発のマガジン給弾方式も、途中装弾できないM1ガーランドのクリップ給弾方式に不満があったため歓迎された。
このためM1918は戦場で戦う兵士達にとって信頼のおける兵器として愛された。
データ
全長 | 1,214mm |
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銃身長 | 611mm |
重量 | 9,070g |
使用弾薬 | 7.62mm×63(.30-06スプリングフィールド弾) |
装弾数 | 20発 |
余談
BARはショーシャと同じく、どちらも一列横隊で弾丸をばら撒きながら前進していくマーチングファイアという戦術に使うために開発された、という経緯を持つのである。
では、なぜショーシャと異なりBARが長い命脈を保つことが出来たのか。理由はいくつか考えられる。
ショーシャが腰だめ撃ちにあまりにも特化しすぎた設計になっていたのに対し、BARは肩撃ちや伏せ撃ち、塹壕内での射撃も考えた普遍的な小銃の形をしていたこと(腰だめ撃ちで使う際にはベルトに銃床をはめ込むカップをあらかじめ用意し、それで体勢を安定させていた)。
ショーシャの作動方式が手本にしたレミントン・モデル8(皮肉にもこの銃もブローニングの設計した猟銃である)に倣いロングリコイル方式であったのに対し、BARは当時最新でより反動の少ないガス圧作動方式であったこと(ロングリコイル方式も反動を和らげる効果がある作動方式ではあったが連射する銃で使うには力不足だった)。
各部品が構造がシンプルで加工精度も高く、泥まみれの塹壕内で使っても揺るぎない信頼性を持っていたこと、などである。
本来はマシンライフルであった両銃は、マーチングファイアという戦術が頓挫しその後機関銃っぽく使われた結果、設計思想の微妙な違いにより大きく運命を分けることとなったのである。