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XM148

えっくすえむわんふぉーえいと

XM148とはコルト社が実験的に製造していたアンダーバレルグレネードランチャー。

概要編集

1963年にアメリカ軍は1951年から継続されていたSPIW計画(Special Purpose Individual Weapon)からグレネードランチャーの案だけが独立し、自動小銃用のアンダーバレルグレネードランチャーの開発に着手した。

開発にはコルト社、自動車産業で有名なフォード社、後にM203を開発するAAI社が参加した。

フォード社の案はメカニズムが悪いと判断されて却下され、AAI社の案は標準的な弾薬を使わず、薬莢にライフリングが施された榴弾を使用する、という案であり本体が軽量化されていた。

しかし、弾薬が40×46mm榴弾と互換がないことを却下されてしまい、最終的に1964年にコルト社の案であるCGL-4が採用された。

紆余曲折を経て改良された本銃は1966年に早急にベトナム戦争投入されることが望まれていた為、同年12月に出荷され、67年の1月には約一万挺が発送され、同年の夏までに27000挺が発送された。

しかし、本銃は草木の茂るベトナムの湿地では草が照準器や本体に絡まって信頼性に問題が発生し、メンテナンスもしづらく、構造的にも撃鉄を起こす必要があるのだが、それが非常に重いと問題が山積みであり、最終的にベトナムの戦地で扱うには向いていないと判断されて採用は行われず、27000挺で製造が停止し、コルト社はCGL-5として無料で改良するつもりだったものの突っぱねられ、結局アンダーバレルグレネードランチャーの案はAAI社が開発していたXM203の開発に移行され1970年にM203として採用された。

そのため、わずか4年程度しか使用されずに姿を消してしまった擲弾筒である。

一応、NavySEALsやオーストラリアのSASには高い評価を受けたとのこと。


DEATH_STRANDINGのベトナム戦争のステージで骸骨兵士が持っていたM16(架空デザインが入っている)に装着されていたのはこれである。

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