概要
露芬関係(ろふんかんけい、ロシア語:Российско-финляндские отношения、フィンランド語:Suomen ja Venäjän suhteet、英語:Finland–Russia relations)は、ロシアとフィンランドの国際関係の事である。フィンランドは冷戦時代から中立主義を堅持し、国境を接しているロシアとは友好関係を維持してきた。かつてソ連との戦争で甚大な犠牲を出し、この戦争以降は強力な国防力を保持しつつ、ロシアとの友好関係を築くという明確な国家目標を定めてきた。
両国の比較
国名 | 政体 | 現在の首脳 | 国土 | 人口 |
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ロシア連邦 | 半大統領制 連邦共和国 | ウラジーミル・プーチン | 1712万5191平方キロメートル | 1億4718万2123人(2021年10月) |
フィンランド | 議院内閣制 共和国 | サンナ・マリン | 33万8472平方キロメートル | 556万6812人(2023年1月) |
歴史
初期
1920年12月に外交関係を樹立し、1921年2月にヤン・アントノヴィッチ・ベルジンが駐フィンランド大使となった。1611年10月にグスタフ2世アドルフが即位してスウェーデン帝国が成立すると、フィンランドはその一部であり続けた。1700年2月に発生した大北方戦争で、ロシアはスウェーデンを圧倒して1721年9月に戦争は終結した。1808年2月に第2次ロシア・スウェーデン戦争が発生し、1809年9月にロシアはフィンランドを併合して1917年12月まで統治した。
ソビエト連邦
1917年9月にロシア帝国が崩壊した事で、同年12月にフィンランドは独立を宣言した。これはレーニンが保持していた民族自決の原則に沿って、ソ連によって受け入れられた。1918年1月にフィンランド内戦が発生し、同年5月に白衛軍が勝利して終結した。1920年10月に4か月間の交渉の果てにタルトゥ条約が締結され、この条約で両国の国境が画定された。国境はかつてのロシア帝国とフィンランド大公国との間の国境が元であるが、1939年11月にソ連によって破棄された。
1939年11月に冬戦争が発生し、ソ連はフィンランドに対して軍事侵攻を実行した。この戦争でソ連は深刻な損失を被って最初はほとんど前進しなかったが、国際連盟はこの攻撃を違法と見做してソ連を追放した。1940年3月にこの戦争はソ連の勝利に終わり、同月に講和条約が締結され、フィンランドは大幅な領土の割譲を余儀無くされた。1941年6月に2度目の交戦となる継続戦争が発生し、1944年9月に休戦協定が締結されてソ連の勝利に終わった。
1947年2月にフィンランドはソ連に対してペツァモなどの領土を割譲すると共に、3億ドルの賠償金を支払うモスクワ休戦協定の合意を確認した。1948年4月に締結された友好協力相互援助条約はソ連に対する外交政策の基礎となり、フィンランドの中立主義とソ連の特別な戦略的利益の承認を要求した。1952年7月にヘルシンキオリンピックが開催されるまでにフィンランドは賠償金の支払いを完全に履行し、1956年1月にソ連はポルッカラをフィンランドに返還した。
ロシア連邦
1991年12月にソ連が崩壊した後、1992年1月に両国関係の基本に関する条約が締結された。この条約は1948年4月に締結された友好相互援助条約に取って代わり、領土の保全と2国間協力を扱っている。1992年7月に発効して以降は現在も有効で、両国の現代的な国際関係は経済協力の性質を持っている。その一方で国境は定義されておらず、今のところはソ連時代の国境に沿っている。
2016年7月にプーチン大統領は、ナーンタリ市にあるフィンランドの大統領の邸宅を訪問した。プーチンはヨーロッパと世界での出来事を考慮し、フィンランドの大統領との対話の重要性を指摘した。同年12月に両国の会談がオウル市で開催され、この会談での主な議題は両国の経済協力の拡大であった。特に北極海航路に沿って電気通信ケーブルを敷設し、ノルド・ストリーム2のガスパイプラインを敷設するプロジェクトが議論された。
2022年2月にロシア・ウクライナ戦争が発生し、その一方でフィンランドは長らくロシアとの友好関係を維持する為に対立を避けてきた。しかし同年4月にサンナ・マリン首相は「同国がNATO加盟を検討し始めた今、ロシアからのあらゆる反応に備えなければならない。」と述べ、NATOの加盟申請については数週間以内に結論を出すとしている。2023年3月にハンガリーとトルコが加盟を承認し、これで全てとなってフィンランドの加盟が実現する事となった。