概要
正式名称 | ソビエト社会主義共和国連邦とフィンランド共和国の間の友好・協力及び相互援助条約 |
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署名 | 1948年4月6日 |
発効 | 1948年5月31日 |
失効 | 1992年1月20日 |
言語 | ロシア語・フィンランド語・スウェーデン語 |
締結された場所 | ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ |
締結した国 | ソビエト連邦・フィンランド |
ソ連・フィンランド友好協力相互援助条約(ソれん・フィンランドゆうこうきょうりょくそうごえんじょじょうやく、ロシア語:Договор о дружбе, сотрудничестве и взаимной помощи между СССР и Финляндией、フィンランド語:YYA-sopimus、スウェーデン語:VSB-avtalet)は、1948年4月にソビエト連邦とフィンランドとの間で締結された条約。有効期間は発効した日から10年間だが、当事国の利益を満たした事から1955年9月・1970年7月・1983年6月の3度も延長された。
歴史
初期
1945年9月に第2次世界大戦が終結し、1947年2月にソ連とフィンランドはヨーロッパ講和条約を締結した。この条約でフィンランドはソ連に対してペツァモなどの領土を割譲し、1944年9月に締結された3億ドルの賠償金を支払うモスクワ休戦協定の合意を確認した。1948年4月にフィンランドはソ連と条約を締結し、ソ連との協力を対価に資本主義・議会制民主主義を維持した。
その後
1947年3月にアメリカのハリー・S・トルーマン大統領がトルーマン・ドクトリンを宣言し、東西冷戦が存在する事を公式に認めて対決する決意を表明した。冷戦時代のフィンランドは政治・報道機関などが監視下に置かれ、ソ連に対する否定的な言動が事実上禁止された事から重い影響をもたらした。1991年12月にソ連が崩壊してロシア連邦が成立してからは、1948年4月に締結された条約に代わるものとして、1992年1月にロシアとフィンランドは新たな条約を締結した。