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概要編集

英米関係(えいべいかんけい、英語:United Kingdom–United States relations)は、イギリスとアメリカ合衆国の国際関係の事である。1776年7月にアメリカがイギリスからの独立を宣言し、それ以来緊密な同盟関係から軍事上の敵対関係にまで及んだ。1940年5月以来両国は緊密な同盟関係にあり、共通の歴史と言語・宗教の重複・法制度・数百年前に遡る親族関係によって結ばれている。歴史家のポール・ジョンソンは長期的な観点から、両国関係を「近代的で民主的な世界秩序の礎石」と呼び、両国は他の多くの国の文化にも大きな影響を与えてきた。


両国の比較編集

国名政体現在の首脳国土人口
イギリス議院内閣制 立憲君主国リシ・スナク24万2495平方キロメートル6708万1234人(2020年6月)
アメリカ合衆国大統領制 連邦共和国ジョー・バイデン962万9091平方キロメートル3億3328万7557人(2022年7月)

歴史編集

初期編集

1785年6月に外交関係を樹立し、同月にジョン・アダムズが最初の駐イギリス大使となった。1607年5月にイギリスは北アメリカに最初の恒久的な入植地であるバージニア植民地を設立し、1624年5月にこの地はイギリス王室の直轄植民地となった。1783年9月にパリ条約が締結され、イギリスはアメリカの独立を正式に承認した。アメリカとの独立戦争でイギリスの覇権は制限されたが、世界戦略に影響を及ぼす事も無いまま勢力は維持された。逆にフランス植民地戦争での借りを返せたものの、国家財政が底を突いて困窮を極めた。


1783年9月にミシシッピ川から東がアメリカの国土となり、アメリカは1898年8月にハワイを併合するまで国土を拡大していった。同年4月に発生した米西戦争でアメリカはスペインに勝利し、これはアメリカに海外での帝国主義による影響を与えた。アメリカとイギリスは中国の門戸開放政策を支持し、他の帝国の拡大を阻止した。両国は1900年6月に中国で義和団の反乱が発生した時、それを鎮圧した8カ国連合軍に兵士を提供した。


第1次世界大戦編集

1914年7月に第1次世界大戦が発生し、アメリカは厳格な中立政策を取った。1917年4月にアメリカはこの戦争に参戦し、イギリスとの協力を促進しようとした。アメリカ国民は資金・食料・軍需品を送る事を計画したが、西部戦線での戦争を決定するには何百万人もの兵士が必要になる事がすぐに明らかになった。アメリカはジョン・パーシング将軍の指揮で、ヨーロッパに200万人の兵士を派遣した。1918年11月に休戦協定が締結され、1921年7月にアメリカはこの戦争から手を引いた。


第2次世界大戦・終結後編集

1939年9月に第2次世界大戦が発生し、この戦争の時期は外交・軍事行動・資金調達・物資の面で広範かつ非常に複雑な両国関係で構成されていた。チャーチルルーズベルトはそれぞれの外交・軍事組織とは別に活動する密接な友好関係を築き、歴史家は常にその友情に特別な注意を払ってきた。両者は11回会っており、1700通の電報と手紙を交換して国際電話さえかけたほどであった。


1945年9月に第2次世界大戦が終結し、イギリスとアメリカはこの戦争に勝利した。戦争の余波でイギリスは深刻な金融危機に直面したが、逆にアメリカは好景気を享受した。1948年3月にアメリカはマーシャル・プランを実施し、西ヨーロッパに130億ドルが供与された。そのうち33億ドルがインフラとビジネスの近代化を支援する為にイギリスに供与され、この援助はイギリスが予算のバランスを取る・関税の管理・適切な外貨準備を維持するという要件を備えていた。


冷戦編集

1947年3月に宣言されたトルーマン・ドクトリンに繋がったギリシャ内戦で、イギリスはアメリカに自らの役割を引き継ぐように懇願した。アメリカはギリシャトルコに対して財政・軍事援助を実施し、イギリスはこの地域から撤退した。1949年4月にNATO(北大西洋条約機構)が創設され、イギリスとアメリカはその原加盟国となった。アメリカは冷戦を通じ、外交において反植民地・共産主義の立場を取り、イギリスはアメリカが主導する西側陣営に属した。


1950年6月に朝鮮戦争が発生し、アメリカとイギリスは深く関与して国際連合の命令の下で戦った。1953年1月にドワイト・D・アイゼンハワーが大統領に就任したが、彼の任期中における両国の協調は悩ましいものであった。しかしアイゼンハワーとチャーチルは、戦時中のパートナーシップの特徴であった親近感を取り戻した。1958年8月に締結されたアメリカ・イギリス相互防衛協定を通じて、アメリカはイギリスの核兵器の開発を支援した。


1964年8月にアメリカはベトナム戦争に介入するようになったが、この時はイギリスから援助を受けなかった。1970年6月に就任したエドワード・ヒースは、リチャード・ニクソンと共に在任期間中を通じて友好関係を維持した。1972年4月にニクソンがハノイとハイフォンに対する空爆の実行を決定した時、ヒースはそれを支持する事でそれまでの首相たちから逸脱した。ヒースは植民地時代の後において、イギリスの軍事力・経済力が警戒されつつも、アメリカによる支配が益々特徴的になっていた両国関係を均衡状態に戻そうと決意した。


1970年7月にイギリスは欧州経済共同体(EEC)の加盟交渉を開始した。ヒースがEECへのイギリスの加盟を改めて要求した事で、両国に新たな緊張関係がもたらされた。フランスのシャルル・ド・ゴール大統領は、イギリスの加盟はEECに対してアメリカの不当な影響を及ぼすと考えており、それまでのイギリス側の企図を拒否していた。1973年1月にイギリスがEECに加盟した後、ヒースはニクソンに「今後のイギリスはアメリカとヨーロッパ政策を協議する前に、他のEEC加盟国と政策を決定する。」と通知する事でこの解釈を確認した。


1979年5月に就任したマーガレット・サッチャーは、ロナルド・レーガンソ連に対する揺るぎない姿勢を強力に支持した。しばしば「政治的ソウルメイト」・「特別な関係」の頂点などと評され、両首脳はそれぞれの政治的キャリアを通じて何度も会談し、ミハイル・ゴルバチョフと対峙する際には歩調を合わせて対話した。1982年3月に発生したフォークランド紛争では、アメリカはイギリスとアルゼンチンの仲介を試みたが、最終的にはイギリスの反撃を支持する事となった。当時のキャスパー・ワインバーガー国防長官は、兵站支援・装備をイギリス軍へ提供した。


冷戦終結後編集

1991年12月にソ連が崩壊した後、アメリカは世界で唯一の超大国となった。1991年1月に武力行使が実行され、イギリスとアメリカはこの湾岸戦争の間にクウェートをサダム・フセイン政権から解放した多国籍軍に対し、最大の軍部隊をそれぞれ派遣した。1997年5月にイギリスでは労働党が18年ぶりに政権の座に就き、当時のブレアクリントンは彼らの中道左派思想を説明する為、双方とも「第三の道」という表現を用いた。同年8月にダイアナ妃がパリで事故死した際、アメリカはイギリスとの連帯を表明してその哀悼を共有した。


2001年9月にアメリカで同時多発テロが発生し、2977人の犠牲者の中に67人のイギリス人が含まれていた。この攻撃の後にイギリスからアメリカ国民に対する多大な同情が溢れ、ブレアはアルカイダとタリバンに対する軍事行動でのブッシュ大統領の最も強力な国際的支持者の1人であった。アメリカは攻撃を受けて同月に対テロ戦争を宣言し、イギリス軍はアフガニスタンでのNATOの戦争に参加した。ブレアは主導権を掌握して2003年3月のイラク侵攻を提唱し、この場合もイギリスはイラクに対する軍部隊の派遣でアメリカに次ぐ第2位であった。


2009年2月にヒラリー・クリントンは「米英関係は時間の試練にも耐える」と表現し、両国関係に敬意を示した。2011年5月にオバマ大統領はイギリスを公式訪問した際、ウェストミンスター宮殿における議会での演説で両国関係を再確認した。2016年9月に中国の杭州でG20サミットが開催され、オバマはメイ首相との合同記者会見で、「肝心なのは、我々はイギリスに比べて世界のどこにも強いパートナーはいないという事だ。」と述べた。


2017年1月にドナルド・トランプが大統領に就任すると、メイは両国の特別な関係の継続を目指し、トランプが就任した後に接待した最初の外国の指導者であった。しかしトランプはその反移民・ミソジニー(女性嫌悪)・人種差別の為、トランプが就任する前からイギリスで大衆の抗議の対象であった。同月にトランプが特定のイスラム諸国からの市民に対する入国禁止を発表したのと、同年12月にエルサレムをイスラエルの首都として承認すると言った時は抗議があった。


2021年1月にジョー・バイデンが大統領に就任すると、同年6月にコーンウォールで開催されたG7サミットで、バイデンとジョンソンが初めての顔合わせを果たした。この会談で国際社会におけるアメリカとイギリスの行動指針を定めた「新大西洋憲章」に合意し、ここでは民主主義の擁護・集団安全保障の維持・公正で持続可能な世界経済の構築などに加え、喫緊の課題である気候変動対策・保健の危機についての対応などの8項目を規定した。


ヘタリア編集

Axis Powers ヘタリア』のBLカップリングタグとしても使用されているが、国名をそのまま使用するのはジャンル上良くない。

同義タグに「のりごはん」があるので、そちらを使用して「腐向け」または「腐向けヘタリア」との併用すること。


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