概要
日米関係(にちべいかんけい、英語:Japan–United States relations)は、日本とアメリカ合衆国の国際関係の事である。両国は日米安保条約によって緊密な同盟関係にあり、アジア太平洋地域の平和と繁栄の基盤となっている。政治・経済・軍事において密接な国際関係を維持しており、アメリカの政府関係者は一般的に、日本を最も近い同盟国・パートナーの1国と考えている。
両国の比較
国名 | 政体 | 現在の首脳 | 国土 | 人口 |
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日本 | 議院内閣制 立憲君主国 | 岸田文雄 | 37万7876平方キロメートル | 1億2614万6099人(2020年10月) |
アメリカ合衆国 | 大統領制 連邦共和国 | ジョー・バイデン | 962万9091平方キロメートル | 3億3328万7557人(2022年7月) |
歴史
1854年3月に外交関係が樹立され、1859年11月にタウンゼント・ハリスが最初の駐日大使となった。明治維新の後の両国は友好関係を維持し、潜在的な紛争は解決された。1905年7月に桂・タフト協定が締結され、両国はフィリピンと朝鮮の支配権を相互に承認した。アメリカへの日本人移民に関する意見の不一致は、1907年2月に締結された日米紳士協約によって解決した。1914年7月に第1次世界大戦が発生し、両国は協商国に属して中央同盟国と交戦した。
1924年5月にクーリッジ大統領が排日移民法に署名した事で、多くのアメリカ人が全てのアジア人が同じであると信じていたという証拠と共に、この古い世代の外交官・人道主義者が死去して初めて日本の軍国主義者が支配権を獲得し、第2次世界大戦で枢軸国に参加するよう日本に圧力をかける。1931年9月以降は緊張が高まり、特に1937年7月以降の中国に対する日本の行動によって、アメリカは日本が軍事的征服に必要とする石油と鉄鋼を遮断する事になった。
1941年12月に発生した真珠湾攻撃はアメリカの軍事基地に大幅な損害を与え、アメリカが第2次世界大戦に参戦する契機となった。アメリカは降伏を強制する為、組織的に日本の都市を爆撃し、1945年8月に広島と長崎に対して原子爆弾を投下した。同月に日本はポツダム宣言を受諾して同年9月に降伏し、1952年4月までアメリカによる占領統治に服した。この期間にあった1946年11月に日本国憲法が公布され、第100条の規定によって1947年5月に施行された。
1951年9月と1960年1月に日米安保条約が締結され、日本はアメリカの核の傘に入った。アメリカが支援する自由貿易計画を最大限に活用し、朝鮮戦争とベトナム戦争では物資を供給する事で経済成長を経験した。戦後に日本のアメリカに対する輸出は飛躍的に拡大し、特に日本の自動車・家電製品が人気を博した一方で、当時の日本はアメリカに次いで世界第2位の経済力を有する国であった。両国は冷戦が終結した後も、確固たる積極的な政治・軍事・経済関係を維持している。
余談
- 日本の東側とアメリカの西海岸がそれぞれ太平洋に面している。
- 時差はおよそ14時間から17時間(広いアメリカは国内でも時差がある為、地域により異なる)で、アメリカが午前0時の時だと日本は午後2時から5時(14時から17時)頃となる。
- かつて日本経済がまだひ弱でアメリカに対する輸出に依存していた時代に、「アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひく。」・「アメリカが風邪をひくと日本が肺炎になる。」と言われていた。その後は両国の間の格差が縮まり、日本だけが寝込むような事は無くなった。