M1900
えむせんきゅうひゃく
1986年にジョン・ブローニングがFN社(現・FNH社)の為に20世紀の変わり目に制作した現在のオートマチックで主流であるスライド方式を初めて採用した革命的なピストルである。
当初はM1899という名称だったが、それを改良して1900年に製造を開始したのが本銃である。
生産そのものは11年で打ち切られた物の、約70万挺(一説によれば100万丁以上)を売り上げたヒット作となった。
本銃の独特の特徴として、まだスライド方式のピストル黎明期であったことから、現在の拳銃で見られるリコイルスプリングの位置と銃口の位置が逆になっており、銃口が下にある。
アメリカのルーズベルト大統領はパールグリップが装着された本銃を所持しており、不測の事態に備えて携帯していた。(実物が現存しており、NRAの銃器博物館に展示されている。)
1904年にヘルシンキにてフィンランドで活動していた国家主義者であるオイゲン・シャウマンが当時フィンランドの最高権力者であったロシアのニコライ・ボブリコフの暗殺に使用し、これがきっかけでフィンランド内における反ロシア運動が盛んになり、後の1917年に独立を成し遂げたため、フィンランド国内で彼は英雄として祭り上げられた。
その5年後である1909年には安重根によってハルビン駅での伊藤博文暗殺に使用され、彼も韓国独立に貢献した英雄として本銃共々韓国国内で祭り上げられている一方で日本ではテロリストとして扱われた。
この暗殺事件に使用された物が現存しているかは不明だが、中国での安重根記念館では複製品が展示されている。
日本では日露戦争で戦った日本陸軍大将である乃木希典が自腹で購入して使用していたとされる。
中国国内では中国軍兵士に人気があり、しばしばコピーされ将校用にも製造されていた。
北朝鮮においては金日成が愛用していた銃とされ、64式拳銃としてコピー品が製造されていた。
このようにそのサイズの小ささと扱いやすさ、革新性から暗殺用に頻繁に使用され、アジア圏においては体格の小さいアジア人にピッタリだったのか人気が高かったピストルである。
また、白黒映画においてもプロップガンとして多用されており、10年代から60年代まで頻繁に登場していた。
日本国内では需要がないのかはたまた有名な暗殺事件に使用されたのが原因なのかM1910等の古い銃のモデルガンを制作しているマルシンですらも製造していない。
その一方、韓国では上記の通り英雄の銃として非常に人気が高くトイスター社、ACRO社などで製造されていた。
トイスター社の製品は亜鉛合金を使用したフルメタルプッシュコッキングモデルガンであり、パッケージにも安重根の薬指を切断した有名な手形があしらわれ、箱を開けると彼の格言などが載せられた高級感のあるパッケージになっており、本体の刻印も暗殺事件に使用されたものと同じ262336のナンバーが入っている。
当然ではあるが、主義思想関係なしにFN M1900が好きで購入したい日本のマニアであってもフルメタルであるため輸入は不可能である。
ACRO社の製品はエアコッキングガンであり、こちらはフルプラ製で日本にも輸入可能であり、パッケージはFN社のロゴが書かれた簡素なもので内部のBB弾を収納する箱はロットによってデザインが異なり、パッケージと同様FN社のロゴの物と安重根があしらわれた物の二通りが存在する。こちらも当然のように刻印は262336である。