概要
コルト社が製造した初期の大型パーカッション式シングルアクションリボルバー。通称は「コルト・ウォーカー」。
とにかくでかい、ゴツい、超パワーという脳筋思想の極致ともいえる設計思想の銃。その一方で、後年M1848(コルト・ドラグーン)やM1848ポケット(ベビードラグーン)を経て、M1851という傑作拳銃を生み出すきっかけとなった記念すべきモデルである。
開発経緯
この銃が生まれるちょっと前の1840年代、高性能ながら軍用には向かない繊細な銃であるM1836(コルト・パターソン)で被った損害(主に生産拠点であるパターソン市の工場に費用を注ぎすぎたせい)によりコルト社は一度倒産していた。創業者であるアメリカ軍大佐サミュエル・コルトは頭を抱えていたわけだが、そんな彼を訪ねた一人の陸軍大尉がいた。
彼の名前はサミュエル・ハミルトン・ウォーカー。当時彼はテキサスレンジャーの中隊を率いる身であり、米墨戦争への従軍経験もあった。彼は倒産前のヒット商品だったM1836をベースに「装弾数を1発増やして6発の弾倉」「一撃で人馬をぶちのめせる破壊力」「素早いリロード機構」を備えた新型拳銃の開発をコルトに持ちかけにわざわざコルトのいるニューヨークまできたのである。しかも自費で。時はまさに米墨戦争(1846〜1848)真っ只中。強力な新兵器の開発が急務だったのである。
彼の熱意に動かされたコルトは早速開発に取り掛かり、ウォーカーの助言を取り入れつつ全長394ミリ、重量2キロ、口径.44の弾丸を6発装填可能な9インチの長銃身リボルバーの開発に成功。60グレイン(3.9g)という大量の火薬によりウォーカーの望んだ破壊力を実現させ、製造年に因んでM1847の名を与えた。
要望通りの銃が出来たコルトは早速作り上げた二丁を前線にいるウォーカーに送った。前線のウォーカーも大いに喜んだことだろう。しかし、銃の到着からわずか数日後の1847年10月9日、ウォーカーはメキシコ軍との戦いの最中に狙撃され戦死。享年30。
彼の死後も、生前に注文された1000丁分のM1847をアメリカ陸軍に納品。これに追加生産された100丁を加え、M1847はわずか1100丁生産されるに留まった。
このウォーカー大尉とのエピソードから、M1847には「コルト・ウォーカー」の通称がつけられた。
実際の使い心地
デカいデカいとここまで散々言ってきたが、そのデカさはトップ画像の通りである。この絵での描写は決して誇張ではなく、一緒に写ってるシングルアクションアーミー(SAA)が全長279ミリなのに対し、M1847は394ミリ。10センチ以上デカいのである。
重さに関しても規格外であり、重さはSAAの約2倍。当然こんなもの、腰に吊り下げられるわけもないし、男でも片手射撃は至難の業である。
さらに銃身の長さも9インチと規格外であり、このモデルの外見的な特徴となっている。
わかりやすくいえば、実質的な後継モデルであるM1848コルト・ドラグーンの「親玉」もしくは「バケモン」みたいな外見。
ちなみに、ジョン・ウェインが悲願のオスカーを獲得した映画「勇気ある追跡」にてまさかの「ドラグーン」の名前で出演しているという奇縁がある。M1848の実物が手に入らなかったので、M1847で代用したってことなのだろうが、ならばもう「ウォーカー」の名前で出しちゃえよ...と令和の銃マニア(編集者)は思うのだが。ついでにいうと、劇中でウェインが「こいつはよく当たる、ただし頑丈な物の上に載せて狙えばな!」と評しているあたり、このモデルが片手撃ち向きでないことが端的に示されている。
なお、江戸時代末期を舞台に女侠客"お炎"がM1847片手に巨悪を成敗するという時代劇、その名も「コルトM1847羽衣」(月村了衛/2020年)があるのだが、どう考えてもこいつを片手で取り扱うのは無理ゲーである。射撃ならまだ遮蔽物に載せて撃つことが可能だろうが、文庫版の表紙イラストみたいに片手で掲げることはまず無理である(というか、表紙の拳銃はウォーカーより小さい気が...)。中身満タンの2Lペットボトルを片手でプルプルせずに持てと言うようなもので、これを難なくできるのは相当鍛えている人くらいだろう。
ちなみに「羽衣」の作者は2016年に「コルトM1851残月」という後継モデルのM1851がメインの幕末時代小説を書いている。
後継モデル
デカい、重い、そのうえ大量の炸薬ゆえパーカッションの火花が延焼すると火薬の暴発で銃がぶっ壊れるという致命的な弱点を持っていたことから、M1847のロールアウトの翌年、倒産から立ち直ったコルト社は即座に小型軽量化に取り掛かった。主な改良点は銃身の切り詰めによる重量軽減と、炸薬量の削減による暴発事故の被害軽減であり、こうして生まれたのがM1848「コルト・ドラグーン」。アメリカ軍制式採用拳銃となりウォーカーの総生産数の20倍にもなる2万丁の大ヒットを記録するコルト社中興の一作である。
だが、M1848でもベルトのホルスターに入れるほどの小型・軽量化は果たせなかった。その悲願はM1848ポケット(ベビードラグーン)を経て、M1851「コルト・ネイビー」にてついに結実、25万丁以上が売れた名モデルとして歴史に名を残している。