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ミハエル・カラシニコフ(Михаи́л Тимофе́евич Кала́шников 1919年11月10日 - 2013年12月23日)ソビエト連邦およびロシア連邦を代表する銃器設計技師、軍人である。最終階級は技術中将。


銃器設計者としては1946年にAK47を開発した事で有名であるが、それ以前にも大祖国戦争に従軍中から様々な装置の開発を行っていた。

AK47開発後は、AKMAK-74と言った具合に主に主力アサルトライフルのAKシリーズの設計を行っていたほか、派生型のRPK、また汎用機関銃PKを送り出してソビエト連邦軍の小火器の大部分は彼の手によるものとなった。

これらの銃は世界中の社会主義国に広く供与されたほか、同一設計のコピー品があらゆる場所で使用されている事からも氏の設計手腕が世界に与えた影響は非常に大きいと言える。


軍人としては、カラシニコフが発明した銃が大祖国戦争終結後のソビエト連邦を長年に渡って護り抜いたという実績から引退迄に技術中将へ昇進した。ソビエト連邦時代に最高位の栄誉である「社会主義労働英雄」の称号を2度与えられ、ロシア連邦となってからもやはり最高位の栄誉である「ロシア連邦英雄」の勲章を与えられている。


一方で私生活は技術中将という肩書があっても清貧であった。

M16の開発者で多くのパテントと巨万の富を得たアメリカ人技術者 ユージン・ストーナーと対比される。

晩年は、ごく高齢となっても世界中から訪れる記者からの取材積極的に応じていた様子である。

一方で長年に渡って銃器の試験に携わって来た為に耳が遠くなりがちだったという。


2013年12月23日。ロシア連邦ウドムルト共和国イジェフスクにて逝去。御歳94歳の大往生であった。

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