軽戦車界のT-34
T-50は第二次大戦中に限定生産されたソ連軍の歩兵支援用戦車である。
T-26に代わる歩兵支援戦車として開発された試作車両『T-127』は、試験の結果特に機動性に問題があるとされた。そのためエンジンをより高出力のディーゼルエンジンに変更し、重量削減のため装甲厚を減少させるなどの改良がおこなわれ、1941年初頭にT-50として制式化された。
T-50は当時のあらゆる軽戦車の中で突出した性能を持っていた。長砲身の46口径45mm戦車砲M1938を搭載しており、防御装甲は砲塔最大37mm、車体前面37~45mm、後部・側面37mmの傾斜装甲を採用、300馬力のV-4液冷アルミディーゼル発動機により最高時速60km(不整地:40km)を達成している。
また、設計段階から送受信可能な無線装備も充実しており、独特なキューポラ構造から視界性能も極めて良好だった。KV-1重戦車と同様のトーションバー式サスペンションを採用した事で操作性能も良好である
T-50の悲運
1941年4月よりT-50生産のための準備が進められていたが、6月には独ソ戦(大祖国戦争)が勃発し、T-50を生産する予定の第174工場が存在するレニングラードはドイツ軍による攻撃にさらされ、工場はウラルへの疎開を余儀なくされ、戦争によって既存車両の補充部品の生産や修理に追われるようになった上に新技術を導入した分軽戦車としては高価であり、攻撃力も十分とは言えなかったT-50は戦前より準備されてきた資材を使用して1942年初頭までに限定的に生産され、以降の追加生産は行われなかった。
その後
生産されたT-50は、足回りの見た目から「マールィ・クリム(ミニKV)」と呼ばれた。
生産数は少なかったものの独ソ戦中盤を戦い抜き、1944年にはフィンランド戦線に投入されて1両が鹵獲されているほか、増加装甲を装着した車両がドイツ軍と交戦している。
性能諸元(Википедияより)
全長 | 5.2m |
全幅 | 2.47m |
全高 | 2.165m |
総重量 | 13.8 |
発動機 | V-4液冷アルミディーゼル/300馬力 |
装甲距離 | 344km(整地)~244km(不整地) |
最高速度 | 40km~60km |
装甲厚(傾斜付) | 砲塔上最大:37mm、車体上:37mm 車体下:45mm 側面:37mm 後方:37mm |
武装 | 46口径45mm戦車砲M1938(150発) 7.62mmDT機銃×2 |
乗員 | 4名 |
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