導入までの流れ
1920年代、歩兵支援用にT-18の後継となる戦車の国産化を進めていたソ連は、さらなる戦車戦力の増強を目指して、試作が続けられていたが、実用化には至っていなかった。
そこで兵器調査団がイギリス視察を行い、イギリスのヴィッカーズ社の6t戦車が目に留まり、イギリス政府との間にライセンス生産の権利を獲得、技術的指導やテスト用の車両の輸出でも合意した。
ソ連は2砲塔型のA型をライセンス生産した。(これは歩兵支援が目的であった為である。)
1930年春にはテスト用の6t戦車A型がソ連に到着し、早速ライセンス生産を開始、同年中にV-26戦車が15両が完成した。
その後、モスクワ近郊のポクロンナヤ演習場で政府関係者や軍幹部に公開された冬季運用試験を経て、1931年2月13日のソ連革命軍事評議会においてT-26軽歩兵戦車としてソ連軍に制式採用することが決定し、同年8月に量産化も決定した。
導入後
最初に軍に導入されたT-26A型は原型のヴィッカーズ6t戦車A型と同様機関銃搭載の2砲塔型だった。
1932年になって右側の砲塔の搭載兵装を21口径37mm戦車砲PS-1にする小隊長用の車両を製作することが検討され、直ちに量産することとなる。
また同年1月からT-26に本格的な45mm戦車砲を搭載することが検討され、6t戦車B型の砲塔をベースに主砲を搭載する砲塔が設計された。翌年からこのタイプの生産が開始され、36年までにシリーズ最多の6065両が生産された。
ソ連軍以外にも、独ソ戦でドイツ軍が、冬戦争でフィンランド軍が多数を鹵獲し、砲塔に独自の改造を施して自軍戦力として運用した。
投入戦役
登場作品
- ウィンターウォー
ソ連軍の戦車として登場。火炎放射型のOT-130も登場している。
- 歌姫カルメーラ
フランコ軍の戦車として登場。
- 若き兵士たち 栄光なき戦場
ソ連軍の戦車として登場。
フィンランド軍の戦車として登場。
継続高校の車両として、フィンランド軍が使用したタイプが登場。
設定上は火炎放射型のOT-133を改造した車両で、細部の形態が原型のT-26と異なっている。