概要
背景
1925年、イギリスのヴィッカース・アームストロング社がA1E1インディペンデント重戦車という多砲塔戦車を開発したことは、世界中の軍関係者の注目を集めた。その後、各国も競って多砲塔戦車を開発・試作するようになった。だが、その頃起きた世界恐慌で軍事費が大幅に削減されてしまい、多砲塔戦車は単一砲塔の戦車と比べ車体も大きく構造が複雑なために生産コストが高くつき、各国はその開発・生産の全てを停止・破棄してしまったが、当時推進していた「第一次五カ年計画」によって世界恐慌とは無縁の関係だったソ連は開発を続行する。
開発
T-28はA6中戦車とMk.Ⅱ中戦車を参考にしながらT-35と併行して開発された。1932年には試作車(主砲には暫定的に45mm戦車砲を搭載)が完成し、1933年2月には10輌(12輌という説もある)を完成、メーデーパレードで一般公開され、同年8月11日にT-28中戦車として制式化された。
サスペンション系はA6中戦車とMk.Ⅱ中戦車を参考に大量の小さな転輪を垂直スプリングで支えるという珍しい方式が採られ、また、砲身安定装置、砲塔を電動で可動させるなど、最新技術が盛り込まれていた戦車でもあった。また、T-28はT-35と多くの部品が共通化されており、主砲塔、銃塔は同じ物を搭載していた。
砲塔は1933年型では76.2mm砲を搭載した主砲塔の前部に機銃を搭載した銃塔を2つ、計3つを配置していた。
実戦
T-28はスペイン内戦やノモンハン事件で実戦に投入されるが、その後の冬戦争では、森林や、深い雪の中での行軍が多く、加えてこの頃のT-28は最大装甲が30mmで防御面で不安があり、フィンランド軍の対戦車砲や火炎瓶によって待ち伏せ攻撃を受け、多くの損失を受けたり鹵獲された。鹵獲された車両は継続戦争ではフィンランド軍の貴重な戦車戦力として使用され圧倒的な性能差を持つT-34/85を撃破するなど、戦争後半においても戦力として活躍した。
1941年6月22日に独ソ戦が始まった時には、T-28およびT-35は独立戦車大隊および独立重戦車旅団に配備され多くが失われている。
生き残ったT-28はモスクワ防衛戦に参加し、その後1943年初頭までドイツ軍への反攻作戦に使用された。
フィンランドで使用されたT-28のうち、1台はパロラ戦車博物館に展示されている。
登場作品
War_Thunder:ソ連ランクⅡにT-28とT-28Eの2種がプレイアブル車両として登場。
World_of_Tanks、World_of_Tanks_Blitzソ連TierⅣ中戦車として登場。紙装甲で有名だが、乗り手によっては中々に侮れないものとなる。また、85mm砲を搭載したモデルが「T-28E with F-30」という名称のプレミアム車両として存在する。