概要
開発経緯
1933年にラインメタルボルジヒ社はドイツ兵器局に対して、自社が1920年代末に開発したグローストラクトール(大型牽引車:Grosstraktor)の経験を元にしたドイツ陸軍用20t級戦車を作りたいとの申し出を行った。提案された車両が当時ヨーロッパの流行であった多砲塔戦車であったことと、ドイツ再軍備化に乗り出す直前だったこともあってこの申し出は快諾されラインメタルボルジヒ社はNbFz「新式車両」と呼称される試作車製造の受注を得ることとなった。
開発
全体の設計はラインメタルボルジヒ社で行われ、砲と砲塔はクルップ社とラインメタルボルジヒ社が設計を行っており、1934年に完成した軟鋼製構造の車体を持つ試作車にはラインメタルボルジヒ社製の砲塔が、翌年完成した防弾鋼製構造の実用試験車両にはクルップ社製砲塔が搭載されている。副砲塔は主砲塔の前後に設置され、それぞれ7.92mm機銃を装備していた。
ラインメタルボルジヒ社製の砲塔は7.5cm砲と3.7cm砲を縦二連に装備していた。この車両は1940年までプトロスの戦車訓練校で訓練任務に使用されている。クルップ社製砲塔は7.5cm砲と 3.7cm砲を並列で装備していた。この車両に装備された副砲塔はI号戦車に搭載された砲塔の略同型であった。
試験投入
実用試験車両3両は1940年4月にノルウェーへ送られ実戦に投入され歩兵支援に活躍したものの、1両は戦闘で破壊され残った2両も機動力不足でドイツ軍が目指す機動戦に不向きであるとして同年末には本国へ送還されスクラップとなった。また、もう1輌は1941年のバルバロッサ作戦に投入され、KV-1に遭遇し撃破された。
プロパガンダ戦車として
実戦ではさほどの活躍を見せなかったものの、その目立つ強そうな外観からプロパガンダに使用され、演説用の台にされたり、本車がⅢ号戦車の生産ラインに共に並んで量産されているように見せかけた欺瞞工作の写真は有名である。
登場作品
第2話でヴァイキング水産高校の保有戦車として登場。隊長のケビ子が搭乗していた。