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バルバロッサ作戦

ばるばろっささくせん

「バルバロッサ作戦(Unternehmen Barbarossa)」は、同名の作戦立案指令「バルバロッサ計画(Fall Barbarossa)」に基づく、ナチス・ドイツによるソ連への奇襲作戦の暗号名。1941年6月22日に実行され、独ソ戦の開戦の嚆矢となった
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草案作成

 1940年には、ヒトラーはすでにソ連攻撃を視野に入れて考えていた。7月31日、ベルヒテスガーデンの山荘で、ヒトラーはドイツ軍指導部に計画の概要を伝え、作戦立案を命じている。12月18日、OKW(Oberkommando der Wehrmacht、国防軍最高司令部)に対し、「バルバロッサ計画」の秘匿名称の下に対ソ戦を準備するよう「第21指令(„Weisung Nr. 21“)」が発令された。

「バルバロッサ」

 1940年にはOKW、OKH(Oberkommando des Heeres、陸軍最高司令部)、OKM(Oberkommando der Marine、海軍最高司令部)は対ソ戦の作戦草案を作成していた。暗号名は「S問題(„Problem S“)」、「フリッツ(„Fritz“)」のほか、OKW国土防衛局は「東方作戦草案(„Operationsstudie Ost“)」、OKHは「東方作戦計画(„Operationsplan Ost“)」、OKMは「ロシアについての考察(„Betrachtungen über Rußland“)」を提出し、12月5日には「オットー(Otto)」の名で統合されヒトラーに提出された。
 「オットー」の名は、ヴァイマール時代に歴史書でその「ドイツ人への貢献」、「スラヴ人および植民地政策」、東欧の「ドイツ化」などを喧伝された、ドイツ王国及び神聖ローマ帝国の皇帝オットー1世に由来しているとされる。「オットー」の名は他にも、1938年のオーストリア合邦が成功しなかった場合に予定されていた軍事作戦の名にも現れていた。
 「オットー」が再び現れたのは、占領地ポーランドにおける鉄道整備や、東部国境への軍の輸送手段拡充に関する7月25日の「優先的」命令の中で、対ソ戦の最初の準備と考えられている。
 ヒトラーは1940年12月15日の「第21指令」で「バルバロッサ」の名を用いた。これは、諸オットー帝(„Ottone“、オットー1世、オットー2世、オットー3世)に並んで最も知られた、中世の皇帝フリードリヒ1世の通称を暗示している。「バルバロッサ」の名は翌1941年1月15日、国防軍指導部の間で口に上るようになった。
 

「絶滅戦争(Vernichtungskrieg)」

 ヒトラーはすでに1925年、ボリシェヴィズムの絶滅を根幹的な目的と宣言し、ドイツの領土拡張先を「ソ連に求める他にない」と公言していた。ヒトラーは共産主義思想とユダヤ人を結びつけ、その反共主義と反セム主義の立場から、対ソ戦を「ユダヤ・ボリシェヴィズム」の破壊を目的とした人種的「絶滅戦争」であると位置づけていた。
 その構想の中では、ソ連のヨーロッパ部分は全土が占領され、政治的指導層は抹殺され、埋蔵資源・農業生産物は収奪され、住民はその人口を“削減”され、権利を剥奪されることになる。“飢餓計画(Hungerplan)”を通じた、数百万の捕虜や非戦闘員の抹殺が予定され、そこに「東方総合計画(Generalplan Ost)」に基づく住民の大規模な追放と「ゲルマン化(Germanisierung)」が続くものとされた。前線の背後には「行動部隊(Einsatzgruppen)」が配備され、国際法に違反する作戦行動を行うことが、1941年3月の時点で国防軍に通達された。
 こうして世界史でも例のない規模の、およそ400万の枢軸国軍がソ連へと侵攻した。2900キロメートル(1800マイル)の前線で、平均900万の戦力が絶えず交戦していたと見積もられる。独ソ戦では第二次世界大戦における最大の戦闘や最大の戦争犯罪が行われた。
 ドイツ占領地域ではハーグ協定や、1929年のジュネーヴ協定で取り決められた保護は無視された。ドイツ軍が捕らえた500万の赤軍捕虜のうち、少なくとも300万人が強制された飢餓やガス殺などの手段で殺害され、またソ連在住のユダヤ人100万人が殺害された。

戦争計画

 ポーランド、フランスを下した「電撃戦(Blitzkrieg)」をドイツ指導部は想定していた。広大なソ連領土を完全に制圧するのではなく、敵戦力の殲滅と、主要な拠点の占領を通じたソ連の降伏が予定された。
 作戦発動後の1941年7月3日、参謀総長フランツ・ハルダーは書いている。

"Es ist also wohl nicht zu viel gesagt, wenn ich behauptete, dass der Feldzug gegen Russland innerhalb von 14 Tagen gewonnen wurde. Natürlich ist er damit noch nicht beendet. Die Weite des Raumes und die Hartnäckigkeit des mit allen Mitteln geführten Widerstandes werden unsere Kräfte noch viele Wochen beanspruchen."
(ロシア遠征が14日間で成功すると私が主張しても、決して誇張とは言えない。もちろん、それはまだ終わってはいない。空間の広がりと、あらゆる手段で行われる抵抗の執拗さが、我々の部隊に何週間か必要とさせるだろう)
(Franz Halder, „Kriegstagebuch“, 3. Juli 1941)

 当初OKHが提出した計画書では、ロシア中央への攻撃に重点が置かれていた。
 フォン・ボック率いる中央軍集団はソ連軍をミンスクで包囲し、モスクワへ攻勢をかける。フォン・レープ率いる北方軍集団は沿バルト地域を席巻し、レニングラードへ向かう。フォン・ルントシュテット率いる南方軍集団は、ウクライナ地域を奪取することが想定された。
 ヒトラーはこれに修正を加えた。
 中央軍集団はベラルーシ地域の敵野戦軍を殲滅し、機甲集団を北進させ、北方軍集団と協力して沿バルト地域の敵を殲滅しつつ、レニングラードを攻撃する。レニングラードを奪取した後、交通と産業網の中心であるモスクワに攻勢をかける。
 ソ連戦力は一度の作戦行動で粉砕されると考えられ、予備戦力は考えられていなかった。
 ポーランドとフランスをドイツ軍が下したことは、ドイツ軍への過大評価を与え、また冬戦争における赤軍の苦戦がソ連の戦力への過小評価を与えていた。「バルバロッサ」作戦立案の上でも、また西側連合国の間でも、独ソ戦が長期戦や膠着状態に陥る可能性はほとんど顧慮されなかった。
 作戦発動後の1941年8月11日、フランツ・ハルダーは認識不足を認めた。

„In der gesamten Lage hebt sich immer deutlicher ab, dass der Koloß Russland, der sich bewusst auf den totalen Krieg vorbereitet hat, mit der ganzen Hemmungslosigkeit, die totalitären Staaten eigen ist, von uns unterschätzt worden ist. Diese Feststellung bezieht sich ebenso auf die organisatorischen wie auf die wirtschaftlichen Kräfte, auf das Verkehrswesen, vor allem aber auf rein militärische Leistungsfähigkeit. Wir haben bei Kriegsbeginn mit 200 feindlichen Divisionen gerechnet. Jetzt zählen wir bereits 360. Diese Divisionen sind sicherlich nicht in unserem Sinne bewaffnet und ausgerüstet, sie sind taktisch vielfach ungenügend geführt. Aber sie sind da. Und wenn ein Dutzend davon zerschlagen wird, dann stellt der Russe ein neues Dutzend hin“
(全体的な情勢において、より明確に指摘できるのは、全体主義国家特有のあらゆる無制限によって、全面戦争へ自らを準備していた巨大な存在たるロシアが、我々からは過小評価されていたことである。この確認は、組織的にも、経済力においても、交通制度においても、何より純粋に軍事的な能力においても当てはめられる。我々は開戦時に200個の敵の師団を確認した。今や我々は360師団を数えている。これらの師団は、確かに我々の感覚では、準備され兵装されておらず、戦術的には何重にも不十分である。だが彼らはそこにいる。そしてその1ダースが破砕されても、ロシア人は新たな1ダースを編成して来る)
(Franz Halder, „Kriegstagebuch“, 11. August 1941)

結果

 バルバロッサ作戦からモスクワ攻撃「台風」作戦に至るまで、ドイツ側はソ連西方領土のほぼ全域を席巻した。しかしモスクワの戦いでのドイツの敗退は「電撃戦」戦略を破綻させた。以後、ドイツ側は想定していなかった消耗戦へ陥っていった。

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