1945年2月4日から11日までクリミア半島の保養地ヤルタで開かれた米英ソ巨頭会談。
アメリカ合衆国大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト、ソ連首相スターリン、イギリス首相ウィンストン・チャーチルほか、連合国三ヶ国の外相や軍首脳が参加した。連合国の協調が最高点に達したのはこの時だと言われる。
会談の目的は連合国の対立陣営である枢軸国への対策や戦後処理を取り決めた「ヤルタ協定」がされ、戦後の国際秩序形成の重要な起点となった。
4月にルーズベルトは死去して、ハリー・S・トルーマンが大統領に就任し、8月にはチャーチルが総選挙で政権を失い、ルーズベルトとスターリンとチャーチルの3人が集まったのはヤルタが最後であった。
5月にドイツは敗北し、ポツダム会談が開かれ、トルーマン・スターリン・チャーチル(途中でアトリーと交代)が話し合い、戦後のドイツと日本の対策が決められ、日本への降伏要求「ポツダム宣言」発表された。しかし、反共的なトルーマンはヤルタでの極東密約の内容に憤慨してソ連を嫌悪したが、時すでに遅く広島の原爆投下後にソ連が満州に侵攻した。
9月に日本は降伏文書に調印。連合国を中心とした国際連合が発足し、日本とドイツは連合国の占領統治を受けた。日本は米軍を中心としたGHQが統治し、ドイツは東西に、朝鮮は南北に分割統治され、ポーランドや東欧各国は親ソ派政権となり、中国は毛沢東率いる中華人民共和国が建国されて中華民国は台湾へ敗走し、金日成率いる北朝鮮が韓国に攻撃して朝鮮戦争が勃発。
すなわち「冷戦」の時代が幕開けした。ヤルタ会議は冷戦の序章となったと言われる。
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