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概要編集

イタリア機甲戦力の創成期編集

第一次世界大戦時にフランスのルノーFT-17を100輌購入しノックダウン生産をする計画と同時にシュナイダーCA1を20輌購入することからイタリア戦車の歴史は始まる。しかし、実際にはフランスは自国の装備分の戦車をそろえることで手一杯となっており、1918年8月以降にルノーFT-17が数量イタリアに引き渡され、シュナイダーCA1は購入車両数を大幅に削減している。この状況にイタリアはひどく危機感を覚えシュナイダーCA1を参考に『Fiat2000』戦車を開発することとなる。


ルノーFTのコピー計画編集

イタリアに少数引き渡されただけに終わったルノーFT-17の状況にイタリア戦時省は本車のコピー品の製造を計画し、フィアット社、アンサルド社、ブレダ社、で合計1400輌の発注がなされた。しかし発注直後に戦争が終わってしまい発注は一旦白紙となってしまったが、1920年に試作車が完成し1921年に試験が行われているなどゆっくりではあるもののコピー生産計画(コピーとは言いつつもイタリアによる独自改良がされているため厳密にはコピーではない)は続けられ、1923年に『FIAT3000mod.21』として正式採用される。


改良と名称変更編集

当初FIAT3000mod.21は6.5㎜機銃を2丁装備であったが、ビッカース・テルニ37/40戦車砲に変更したものを『FIAT3000mod.30』として正式採用されている。1937年以降にイタリア陸軍の名称付与方式が変わったため、FIAT3000mod.21が『L5/21』となりFIAT3000mod.30は『L5/30』に変更された。


量産編集

FIAT3000は国内だけではなくハンガリー、アルバニア、ラトビア、エチオピアなどの国に輸出されている。


関連タグ編集

ルノーFT-17

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