1915年にFIAT社で開発が始まり、1917年に試作車が完成し、1918年11月の終戦までに量産が始まることはなかった。
FIAT2000は他の同世代の戦車と同様に塹壕突破用の重戦車として企画され、このカテゴリーで先行するフランスのシュナイダーCA1戦車やイギリスのリトルウイリー戦車を参考に設計された。
四方に機銃を備えた台形の車体の上に半球型の砲塔を備えた特徴的な姿をしていた。重量は40tあり、同時代の戦車の中では重かった。
主砲は65mm迫撃砲となっており、高仰角での射撃が可能なように砲塔は二重球殻を備えた、対空戦車のような特殊な構造になっていた。台形の戦闘室の四隅及び左右側面中央部にはそれぞれ機関銃を装備しており、全方位に射撃が可能だった。試作車の1両は途中で前方の2挺の機銃を37mm砲に換装している。
走行装置は菱形戦車のような車体全体を取り巻く形ではなかったが、履帯長を車体長いっぱいまで伸ばし不整地踏破性能を高めていた。
本車に続いて開発されたFIAT3000は名前が似ているが、そちらはFT-17軽戦車の独自改良型であり、設計上は特に関係がない。
本車は第一次世界大戦の終戦に量産が間に合わず実戦投入されることはなかった。
しかし2両だけ製造された試作車は、当時イタリアの植民地だったリビアの警備に派遣された。一緒に派遣されていたルノーFT-17や装輪式装甲車に追随できず役に立たないとして2両のうち1両はすぐにイタリアに送り返されて来てしまった(もう1両は現地でスクラップにされたらしく行方不明に)。残った1両はしばらくパレードや試験に利用されていたがやがてスクラップにされた。
このようにほぼ活躍の無いまま発展型を残すこともなく歴史から消え去ったFIAT2000であったが、21世紀に入ってイタリア国内で人気を集めているらしく、募金によって実物をほぼ完全に再現した走行可能なレプリカが新規に製造され、2020年に完成・公開されている。