欧州戦線の伝説的存在
ティーガーIは、第二次世界大戦中期の1942年に実用化したドイツ製重戦車。
主にドイツ最精鋭の重戦車大隊によって運用され、数的有利を以って迫る連合軍戦車隊を強力な8.8cm砲と最大10cm厚の重装甲で圧倒。
その高性能とは裏腹に生産や整備の難度は高く、故障も多発したが、その存在は連合軍将兵にとって最も恐るべき強敵として今日に至るまで語り継がれ、戦車としては最高クラスの一般知名度を有する。
制式呼称は数種存在するが、最も一般的なのは「ティーガーI」(Tiger I)。
ただし、単に「ティーガー」(Tiger)と呼ばれる場合も多い。
また、かつては英語読みの「タイガー」という呼び名も使用されたが、現在はあまり一般的ではない。
開発史
VK30.01(H) | VK36.01(H) |
---|
第二次世界大戦直前の1930年代、ドイツ軍は敵の重戦車や防衛陣地と交戦、これを突破する車重30トン級の「突破戦車」を計画し、その設計命令を受けたヘンシェル社では1938年から1941年にかけてD.W.やVK30.01(H)、VK36.01(H)などが試作された。
しかし、1941年5月からさらに強力な45トン級の重突破戦車「VK45.01」の計画が開始されたことに伴い、ヘンシェル社は新たに「VK45.01(H)」の開発に取り掛かった。
ヘンシェル案・VK45.01(H) | ポルシェ案・VK45.01(P) |
---|
VK45.01計画はヘンシェル社とポルシェ社で並行して進められたが、当初は第三帝国屈指の天才技術者たるポルシェ博士を好んだドイツ総統の意向により、ポルシェ案のVK45.01(P)・通称ポルシェティーガーに先行して量産指示が下るなどの優遇があった。
しかし、ポルシェティーガーの開発は革新的な電動モーター駆動という新技術の実装に際して大きく遅延。
完成した試作車も多くの不具合に見舞われたことから、1942年10月には不採用が確定した。
一方、ヘンシェル側の開発は比較的順調に進行し、1942年6月には量産が開始。
1942年10月には「VI号戦車ティーガーH1型」として制式化された。
性能
- 火力
ティーガーIが搭載する56口径8.8cm砲「KwK 36」は、西方電撃戦や北アフリカ戦線で数多くの重戦車やトーチカを葬った8.8cm高射砲、通称「アハト・アハト」を原型に開発されたもので、一般的な連合軍の戦車砲と比べて射程・装甲射貫・射撃精度などで優った。
弾名 | 弾種 | 初速 | 射貫装甲厚/射距離(装甲傾斜角60度の場合) |
---|---|---|---|
Pzgr 39 | 低抵抗被帽付徹甲弾(APCBC) | 773m/s | 120mm/100m, 99mm/1,000m, 83mm/1,000m |
Pzgr 40 | 硬芯徹甲弾(APCR) | 920m/s | 171mm/100m, 138mm/1,000m, 110mm/1,000m |
(Pzgr 40は芯材として貴重資源のタングステンを消費するため生産数が少ない)
そして、大戦期の連合軍主力を担ったM4シャーマンやT-34の正面防御は、傾斜装甲の効果を考慮したとしても最大で100mm厚程度。
結果、平原や砂漠などの開けた戦域では、ティーガーIがその優れた砲性能により連合軍戦車を射程外から一方的に撃破するような状況が多く発生した。
大気を裂く砲撃 | 厚い皮膚より早い足の対極 |
---|
- 防御力
第二次世界大戦中に開発された戦車としては珍しく装甲配置に傾斜がほぼ無いが、装甲厚は正面で最大120mm、側背面で最大80mmが確保されていた。
これは、最大で100mm厚程度しか射貫できない連合軍の戦車砲や対戦車砲(1942~43年当時)を半ば無力化できるもので、戦場におけるティーガーIの伝説的活躍に一役買った。
1944年以降、連合軍が新型戦車や重対戦車砲の本格配備を進めるとティーガーIの防御力は相対的に脆弱となったが、それでも貧弱なレベルにまで陳腐化したわけではなかった。
加えて、前述の優秀な火力は終戦までに登場したあらゆる連合軍戦車に対して有力であり、その脅威性は最後まで薄れることは無かった。
- 機動力
1942年6月から1943年5月までの生産型は排気量21,353ccで650馬力/3000rpmを発揮するマイバッハ社製のV型12気筒液冷ガソリンエンジン「HL 210 TRM P45」、1943年5月以降の生産型もやはりマイバッハ製ながら排気量23,095ccで700馬力/3000rpmを発揮する改良型の「HL 230 TRM P45」を搭載し、トランスミッションはヘンシェル社製L600C型操向変速機と一体化されたマイバッハ製セミオートマチック式の「Olvar」(オルファー)。
転輪は57トンにもなる車重を可能な限り分散するため最大4重にまで重ねられ、接地圧の低減が図られた。
これらが組み合わさった結果、ティーガーIの機動力は戦術的な視点からして優秀なものとなった。
特に、当時としては珍しいパワーステアリングによる非常に容易な操縦や、左右の履帯をそれぞれ逆に回す操作、すなわち超信地旋回が可能な点などは戦後型戦車にも通じるものといえるだろう。
しかし、これらの凝った構造に起因して戦略的な機動力、特に整備性・信頼性が著しく劣悪なものとなり、高練度の整備兵なしに安定した運用をすることは不可能だった。
運用・戦史
1942年8月から9月にかけて、第502重戦車大隊のティーガーIが東部戦線のレニングラード郊外で初めて実戦投入されたが、初期不良や戦車兵の訓練不足のため、戦果を挙げる以前に投入された4輌全車が故障発生、もしくは泥地にハマって放棄されるという散々な結果に終わった。
M4シャーマン | 北アフリカ戦線 |
---|
しかし、1942年12月から北アフリカ戦線に投入された第501重戦車大隊のティーガーIは、M3中戦車やM4シャーマン、チャーチル歩兵戦車によって構成される連合軍戦車隊を完全に圧倒。
特に、1943年2月のカセリーヌ峠の戦いでは参戦から間もないアメリカ陸軍第1装甲師団に甚大な被害を与えた。
T-34 | 史上最大の戦車戦・クルスク |
---|
一方、1943年の東部戦線で展開された戦闘では、第502重戦車大隊やSS装甲軍団のティーガーIが数倍規模の数的有利を以って迫るソ連赤軍のT-34戦車隊と交戦し、これを圧倒。
1943年7月のクルスクの戦いでは防衛線突破のために考案された新戦術「パンツァーカイル」の先陣を担当するなど当初の開発目的に即した突破戦車としての運用がなされ、時には単騎で数十輌の敵戦車を撃破した。
T-34/85 | IS-2 |
---|
1944年、東部戦線ではT-34が85mm砲搭載型に改良され、さらに強力な122mm砲搭載のIS-2も登場するなど、ティーガーIを正面から撃破可能な装備が普及した。
これにより、ティーガーIの防御面における絶対的な優位は崩れ去ったが、精鋭戦車兵によって運用された場合の戦闘能力は依然として脅威的だった。
代表的なエピソードといえるのが、第502重戦車大隊のオットー・カリウスによって7月22日にラトビアのマリナーファ村で実施された奇襲。
たった2輌のティーガーIでわずか30分間の内に、20輌程度のT-34/85とIS-2を撃破するという大戦果を挙げている。
ヤーボ仕様のP-47 | ヴィレル・ボカージュ |
---|
一方、ノルマンディー上陸作戦に伴い再形成された西部戦線でも、ティーガーIに対抗可能な米M1 76mm戦車砲・英17ポンド砲の配備が本格化、さらに連合軍が航空優勢を確保したことから、ヤーボ(戦闘爆撃機)による航空攻撃の脅威も大きくなった。
それでも、1944年6月13日にフランスのヴィレル・ボカージュで発生した戦いでは、第101SS重戦車大隊のミハエル・ヴィットマンが搭乗するティーガーIの活躍により、イギリス陸軍第7機甲師団に壊滅的打撃が与えられた。
ただ、そのヴィットマンも1944年8月8日に17ポンド砲搭載のシャーマン・ファイアフライによって乗車を撃破され、戦死している。
ブランデンブルク門前 | ミュンヒベルク装甲師団のティーガーI |
---|
1945年になるとドイツ軍の組織的戦闘能力そのものが半壊、重装備の運用が困難となりティーガーIの活躍事例も減少。
4月のベルリンの戦いで投入されたのを最後として、滅びゆく第三帝国と共に永久にその役目を終えた。
派生型
- ベルゲティーガー(Bergetiger)
ティーガー回収戦車とも呼ばれる戦車回収車。
戦場で損傷した車輌の主砲を取り外し、クレーンを取り付けた。総生産数3輌。
- シュトゥルムティーガー(Sturmtiger)
380mmロケット砲(38cm Raketenwerfer 61 L/5.4)を搭載する敵陣地突破用の突撃臼砲。
詳細は該当記事まで。
- ティーガーII(Tiger II)
ティーガーIの後継で、WW2最強格の重戦車。
詳細は該当記事まで。
登場作品
連合軍を蹴散らす強力なドイツ戦車の象徴的存在であり、戦争映画やアニメではもっぱら主人公たちの前に立ちはだかる強敵として登場する。
しかし稼働実車が少ないこともあって、撮影にはT-34を改装してティーガーIに似せたものが使用されることが多い(「ポルシェティーガー」の項も参照)。
- 泥まみれの虎
あの宮崎駿が手がけた、ドイツ戦車エースのオットー・カリウスを描く戦記絵本。
登場人物は擬人化された豚として描かれているが、戦闘描写はかなりリアルだったりする。
主人公バートル(川島正徳)とハンス・ゾーレッツが搭乗。
ミリタリー関連のギャグ描写で頻繁に登場。
両津勘吉は「タイガー戦車」と呼ぶことが多かったが、後期の回では「ティガー」とすることもあった。
特殊刑事課のタイガー刑事はティーガーIを乗り回している。
3輌がクレアモントの街に配備され、主人公らと対決する。
T-34ベースの精巧な撮影用車輌が登場する。
ただ『風雪の太陽』でパルチザンの対戦車砲で撃破される描写の際に全車焼失したようで、次作『ナバロンの嵐』では無改造のT-34がドイツ戦車として登場している。
T-34ベースの撮影用車輌が登場。初期型タイプと後期型タイプの2両が作られ、本物に混じってボーヴィントン博物館に展示されていたことがある。
T-44ベースの撮影用車輌が登場。あまりの精巧な出来に英BBCの第二次大戦の資料映像に紛れ込んでいるほど。
何度か手直しが施され、劣化しながらも2004年の『ヒトラー~最期の12日間~』まで使用された息の長い車輌となった。
- ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火(2012年のロシア映画)
IS-2ベースの撮影用車輌が登場。
当初は撮影用に精巧なレプリカを製作されていたようだが、諸事情あって撮影に使用できなかったらしい。
参考資料:映画「ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火」に出るはずだった「『ティーガーI戦車』の超リアル実走レプリカ」が約4700万円で売出し中
敵役として本物のティーガー(ボーヴィントン博物館所有のティーガー131)が登場、主人公らのM4シャーマンと対決する。
初代PS「コンバットチョロQ」とPS2「新コンバットチョロQ」に登場。
「コンバットチョロQ」では火力と耐久力の高い強力な戦車だが登場するのはバトルアリーナのみ。
「新コンバットチョロQ」では初期型と後期型の2タイプで登場。いずれも「爆撃の閃光都市」で交戦するが入手可能なステージは別。
初期型は「炸裂!フレイルの恐怖」クリアで、後期型はバトルアリーナ「フォレスト」で対戦し、勝利すると使用可能となる。
いずれも同軸機関銃タイプ「T」カテゴリーの武装と車体機関銃タイプ「B」カテゴリーの武装を装備できる。
GBA「コンバットチョロQ アドバンス大作戦」でも改造メニューの「車体」のアイコンとして車体のみが登場している。
決勝戦ほかで黒森峰女学園所属車が登場。
主に西住まほが搭乗しているほか、回想シーンで西住みほが搭乗しているシーンもある。
棗イロハ(と丹花イブキ)の搭乗車輌「超無敵鉄甲虎丸」として登場。
タミヤ製1/35スケールモデルで登場、四郎のマゼラアタックと対戦する。
- パンツァーフロントbis
通常車輌、およびストーリーモードで「森の王」と呼ばれる錆塗れの固有車輌が登場。
関連タグ
余談
生産時期による装備・外見の変遷
- 1942/6~1942/12
外見的特徴は防弾ガラスのはめられたスリット式の車長用ハッチの初期型キューポラ、砲塔に発煙弾発射器を装備。
また、砲塔右側に脱出ハッチが無くピストルポートバイザーが付いている。潜水装備あり。
- 1942/12~1943/7
外見的特徴は砲塔の発煙弾発射器が廃止され、車体側面5ヵ所にSマイン(空中炸裂対歩兵榴散弾機雷)や発煙弾の発射機を搭載、砲塔右側のピストルポートが廃止され厚さ80ミリの脱出ハッチが新たに装備されている(閉開にはかなりの筋力を要する)。
また、この型の43年5月の251号車からエンジンが上記のHL230P45に換装され少々パワーアップした。
潜水装備あり。
- 1943/7~1944/2
外見的特徴は潜水装備の廃止。スライドハッチ式の安全な新型ペリスコープ式キューポラに変更(それまでのものは、ハッチを閉めるのに車長が半分体を乗り出す必要があった)。
砲塔左側面に残っていたピストルポートバイザーが装甲栓形式に変更、最終的に廃止。
転輪は初期型と同じく直径800mmのゴム縁タイプとなっている。9月になると対磁気用のツィンメリット・コーティングが塗布された。
- 1944/2~1944/3
外見的特徴はゴム縁タイプであった転輪が、ティーガーIIと同じゴム内蔵の鋼製転輪に変更されている。
この転輪の採用と共に転輪の配置構成が変更及び数が削減され、鉄道輸送用履帯に履き替える時に外側4枚を外さなくても良いようになり幾分整備性が向上した。
- 1944/3~1944/8(生産終了)
外見的特徴は砲塔上面に中から発射できるSマインが装備されたこと、照準器が単眼式Tzf9cに変更されたことで主砲防盾の照準孔が2つから1つになっている。
さらに60kgあった大型マズルブレーキがティーガーIIと共通の35kgの小型軽量のものに変更されている。
6月からは砲塔上面にピルツ(前線でエンジン等を下ろすための簡易組み立て式2トンクレーンねじ込み基部)3個を装備、以前の生産車にも前線で溶接された。
現存するティーガーI
- 車台番号250031極初期型 アメリカ・フォートベニング機甲博物館
1942年12月製造、元第504重戦車大隊所属砲塔番号712番。
1943年5月、アメリカ軍により北アフリカ戦線のチュニスにて鹵獲される。その後アメリカ本国に運ばれさまざまな性能試験が行われた。
- 車台番号250112初期型 イギリス・ボーヴィントン戦車博物館
1943年2月製造、第504重戦車大隊第1中隊第3小隊砲塔番号131としてチュニジアに配備されていた。「ティーガー131」と呼ばれる。
1943年4月21日にイギリス軍との戦闘後放棄され車体はほぼ無傷で鹵獲され戦意高揚の為に各地で展示された後、戦車技術学校にて各種性能の試験及び研究が行われた。
1951年9月25日にイギリス軍需省からボービントン戦車博物館に寄贈されその後1990年から2003年にかけてレストア作業が行われ世界で唯一自走可能な動態保存車となっている。
- 車台番号250427中期型 ロシア・クビンカ戦車博物館
1943年9月製造、元第424重戦車大隊所属車両。指揮戦車仕様、装甲栓の小型ピストルポート仕様。
1945年1月にソ連軍により鹵獲されクビンカ装甲車両中央研究所で各種試験を受けた後博物館行きとなる。
現在は第501重戦車大隊仕様のダークイエロー+レッドブラウンに塗り替えられ部隊章もそれとなっている。
- 車台番号251113後期型 フランス・ヴィムティエ村
1944年5月製造、元SS第102重戦車大隊所属車両。
1944年8月にこの村の近郊に来た時点でこの近辺の急勾配の坂道により機械的故障が発生し、この戦車を障害物としてアメリカ軍の侵攻を遅らせようと乗員により道の真ん中で爆破放棄された。
その後3台のブルドーザーを使って道の横の深い溝に落とされたがこれにより撤去が非常に難しくなり終戦後まで放置されることになった。このおかげで同じように同地に放棄された他の戦車のように金属スクラップになることもなかった。
1970年代に地元の人によりなんとか溝から引き上げられ損傷部分の復元が行われ現在も同村に展示中。
- 車台番号251114後期型 フランス・ソミュール戦車博物館
1944年5月製造、元SS第102重戦車大隊第二小隊所属車両。上記の車両と1番違いであるが少々異なりこちらはピルツがついている(おそらく前線で装着されたもの)。
1944年8月に機械的故障により放棄された後レジスタンスのパルチザンにより鹵獲されフランス軍により"Colmar"と名付けられいくつかの任務に投入される。
1945年5月8日のドイツの降伏まで生き延び、その後1946年にフランス陸軍により技術試験を受けた後、輸送用履帯を履かされソミュール戦車博物館の展示品となり現在に至る。
この戦車はたびたび色が塗り替えられており2色迷彩や現在では3色迷彩仕様となっており、横には戦車兵服姿のオットー・カリウスのマネキンが置いてある。砲塔番号は221番となっている。
- 車台番号251227後期型 ロシア・レニノ村兵器展示場
1944年6月製造、元第510重戦車大隊所属車両。
ラトビアにてソ連軍に鹵獲されレニノ村兵器試験場にて射撃目標となり戦場での恨みもあってか文字通り親のカタキのように砲弾が撃ち込まれ蜂の巣状態となっている。それでも原型を留めているのがこの戦車の耐久性を表している。
現在は個人のコレクションであり現在も同村に展示中。現在は盾にベルリン熊の同第510重戦車大隊のマーク及び3色迷彩に塗り替えられている。