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ティーガーⅠ

てぃーがーあいんつ

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツにより使用された重戦車である。 この項目はこの戦車のメカとしての詳細解説である。 なお、タグ名の中のローマ数字「Ⅰ」は機種依存文字であるため使用は控えたほうが良い。
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概要

正式名称Panzerkampfwagen VI Tiger Ausführung E、VI号戦車ティーガーE型
制式番号Sd.kfz(Sonderkraftfahrzeug、特殊車両番号)181
第二次世界大戦中、連合軍兵士をティーガー恐怖症(タイガー・フォビア)という恐怖の底に陥れ数々の伝説を作った鋼鉄の虎、それがティーガーIである。
この戦車は同時代の戦車と比べ破格のぶ厚い重装甲及び同時代の敵をほぼ一撃で撃破できる威力及び正確さを持った強力な砲を持ち、その代り機動力を犠牲にし、戦車戦を生き延び、敵戦車を撃破する戦闘力に特化した重戦車である。

なお、プラモデルではティーガーIではなくタイガーと表記されている(読み方の都合上)

諸元

全長:8.45m
車体長:6.316m
全幅:3.705m
全高:3m
重量:57t(戦闘重量)
速度:整地45㎞/h(1943年秋より38km/h)、不整地20~25㎞/h、標準路上行軍速度15km/h
エンジン:マイバッハHL210P45、650馬力(1943年5月よりHL230P45、700馬力)
航続距離:整地約140㎞、不整地約85㎞
燃料タンク容量:534L
乗員:5名
総生産数:1346輌

武装

主砲:8.8cm56口径KwK36L/56(92発)
副武装:7.92mmMG34機関銃(5850発以上)×2
     煙幕弾発射装置、Sマイン発射装置

設計の経緯と誕生までの歴史

1937年春、ドイツ軍兵器局から陣地突破用重戦車として依頼され、鉄道車両・重機械製造メーカーのヘンシェル社が開発したDW1、DW2、VK3001(H)に至る試作戦車のシリーズ、これがティーガーIの源流である、その後試行錯誤と発展を経て、1941年により大型のVK3601(H)が開発された、この戦車には前年のフランス戦での戦訓から前面100mm厚の装甲及び距離1400mで敵の100mm厚の装甲を撃ち抜く能力とが要求されていた。しかしこの戦車の開発は当時のドイツではこの戦車の高威力の砲、ゲルリッヒ砲の砲弾に用いるタングステンが不足であり中止となった。上記の要求を満たすためにはより大型の8.8cm高射砲を改造した戦車砲を積む必要があり、大きくなった砲塔を支えるために車体の大型化、それを支えるより強力な足回りとトランスミッション、エンジンを持った車両が必要とされた、これが後にティーガーIとなる車輌であり1941年5月26日にアドルフ・ヒトラーにより開発命令が下された。開発コードはVK4501、上記ヘンシェル社と奇才フェルディナント・ポルシェ博士率いるポルシェ社との競作となった。ポルシェ社もヘンシェル社と同じ時期1939年にVK3001(P)という試作戦車を開発しており、ポルシェ社案VK4501(P)(詳しくはポルシェティーガーを参照されたい)はその構造を引き継いだ新機軸トランスミッションが要らないエンジンで発電してモーターで駆動するガスエレクトリック方式であった。一方ヘンシェル社案のVK4501(H)は上記の今までの試作車を拡大再設計した堅実な案であった。1942年4月20日、ヒトラーの53歳の誕生日の日にこの2車のお披露目と試験走行が行われた、ヒトラーはポルシェを気に入っていたためヒトラーとゲーリングはそちらを推しておりヘンシェル社案は冷遇されたが、いざ走行試験をしてみるとVK4501(P)はモーターのコードが大電流に耐え切れず燃えたり空冷のエンジンが過熱したり接地圧が強すぎて地面に埋まりこんだりと惨憺たる結果に終わり、結果として優秀な成績を収めたヘンシェル社案VK4501(H)が晴れてSd.kfz181として制式採用された、(ただし、開発期限に間に合わせるために砲塔部分はポルシェ社の物を改修して使用している。)こうして、ティーガーIことSd.kfz181、VI号戦車E型の量産は1942年8月に開始され、ここに、鋼鉄の虎が産声を上げた。なお余談ではあるが、不採用となったVK4501(P)はポルシェとヒトラーの癒着関係からすでに100両分の車体装甲板が見込み生産されており、うち90両分のこれを活用して自走砲フェルディナント(後のエレファント重駆逐戦車)が製造された。
 

戦闘能力

この戦車の一番の特徴はなんといってもその当時破格の重装甲と火力にあるだろう、
砲塔前面防盾100~110㎜、砲塔前部100㎜、砲塔周囲馬蹄型曲面の垂直80㎜、砲塔上面25mm(1944年3月製造の生産991号車より40mm)車体前面100㎜、側面、後面80㎜、側面下部60㎜、上面、下面25mm、特に正面はアメリカのM4シャーマン戦車の75㎜砲では零距離でも貫けず、側面でも300m以内に近づかなければ射貫できなかった、ソ連赤軍のT-34/85の85㎜砲では500m以内に近づかなければ側面を射貫できなかった、一方ティーガーⅠの8.8cm、Kwk36L/56砲は通常弾のPzGr39徹甲弾使用で2000mで84mm、1500mで92mm、1000mで100mm、500mで111mmを貫通した、これは上記の二車をいかなる方向からでも1500m以上でも当たればほぼ1撃で大破に至らしめることができることを意味する、さらにこの砲の照準機には極めて正確なツァイスのTZF9b照準機を装備していた、この砲の射撃の正確さに関し、戦時中にイギリスで行われた捕獲兵器の試射においては、1000mの距離でわずか41cm×46 cm の大きさの標的に5回連続で命中させた記録が存在する。
この威力を持って鋼鉄の虎は米ソ連合軍兵士を恐怖に陥れた、それはバルバロッサ作戦でソ連のT-34がドイツ軍のそれまでのⅢ号戦車Ⅳ号戦車を凌駕し恐怖に陥れたのと同じであった。
そして次々とエースが生まれ、ミハエル・ヴィットマンオットー・カリウス、アルベルト・ケルシャー、クニト・クニスペル、ヨハネス・ベルター等10名以上の戦車長がこの鋼鉄の虎を駆り100両以上の敵戦車を撃破し、その活躍は伝説的な色彩を帯びて行き、第二次世界大戦中期までは名実ともに世界最強の戦車であった。
ただし大戦後期以降は完全に無敵というわけではなく、イギリスの17ポンド砲搭載型シャーマン・ファイアフライは特に貫通力を高めた新型APDS弾を使えば1500mで前面装甲を貫通できたし、ソ連のIS-2重戦車の122㎜砲は1000mであらゆる方向からティーガーⅠを撃破できた。
それでもやはり重装甲とKwk36L/56砲の威力は絶大な脅威であり、この鋼鉄の虎は終戦まで連合軍に恐れられた。そしてさらに後継として第二次世界大戦通じて世界最強にまで戦闘力を強化した王虎ティーガーⅡへと発展していた。
 

機動力

上記の戦闘能力に反比例して機動力は犠牲になっているが、当時の最新技術であり重戦車としては上等なものである。
エンジンは生産250号車までマイバッハ製HL210P45型V型12気筒液冷ガソリンエンジンで排気量21353ccで650馬力/3000rpmを発揮した、このエンジンは当時の戦車用エンジンとしてはかなり進んだ設計でアルミ製のエンジンブロックにSOHC方式2バルブヘッドの弁装置、そして現在の自動車でも使用されている熱伝導率に優れたナトリウム封入バルブを使用している、ただし3000rpm程度ではSOHCの利点を生かしきれず逆に構造が複雑になり故障を促進する結果となっているのと、やはり57トンの巨体には出力不足気味であった、このエンジンは生産251号車から改良され排気量23095㏄にボアアップされ700馬力/3000rpmにパワーアップし、エンジンブロックを戦略物資のアルミから鋳鉄ブロックとしたHL230P45型へと変更された。(ブロックがアルミから鋳鉄製になったので350キロほどエンジン重量が増えたが)トランスミッションは同じくマイバッハ製の「OLVAR」(オルファー)OG-40-12-16-A型前進8段、後進4段のセミオートマチック式トランスミッションであり、ヘンシェル社製L600C型操向変速機と一体にされていた。このトランスミッションは油配管と油圧弁と湿式多板クラッチと遊星歯車のお化けのような精緻かつ複雑なドイツの工業技術力の結晶とも呼べるようなトランスミッションで、当時の戦車では珍しくパワーステアリングによる簡便な操作、(指二本でこの57トンの巨体を操作できるとされる)と極めて容易な変速操作を実現していた、さらに構造的に超信地旋回(左右の無限軌道をそれぞれ逆に回してその場で方向転換すること)も可能な極めて先進的な物であった。サスペンションは現在の戦車でも使われているトーションバー(ねじり棒バネ)方式の物で、緩衝能力及び路面追従性に非常に優れ不整地でも良好な走行性能を発揮した。無限軌道の転輪も千鳥配置という前例のない方式が用いられ、転輪の隙間を詰めて接地圧を分散し低減すること及び直径800㎜の大径の転輪(車体側面下部の増加装甲の役割もある)を使うことによる走行性能向上を両立させようとした。
ただし、これらの先進的な走行装置は57トンという過大な重量により戦闘での酷使も相まって常に一杯の負荷がかかり、その信頼性を大きく損なってしまった。エンジンは常に出力不足気味で無理を強いられ寿命が短く、トランスミッションはその性能の代償として極めてデリケートな物となりラフな操縦では容易に破損した。転輪も複雑な配置により雪や泥などが詰まりやすく、ひとたび一番奥の転輪が破損したりすればすべてを取り外さなければならなかったりなど整備性は最悪の一言に尽きる。そしてVI号戦車の概要の項でも触れられているが幅725ミリの戦闘用Kgs63/725/130マンガン鋼鋳造履帯の重さは1コマあたり30kg、片側96枚、約3トンであり鉄道輸送のたびこれを幅520㎜の輸送用Kgs63/520/130履帯に履き替えなければならず、(さらに初期型~中期型は外側4枚の転輪も外さなければならない)大変な労苦を伴った、ひとたび履帯が絡まったりすればもはや外すことができず、履帯を爆破したりトーチで溶断して処理する始末であった。このようにこの戦車の走行装置は機械的に欠点がないとは言い難かったが、適切な整備及び適切な取り扱いをすればこの当時もっとも進んでいる物にふさわしい性能と信頼性、耐久性を備えてはいる。(現に戦後70年経った現在でもイギリス、ボービントン戦車博物館のティーガー131号車は動態保存されその走行の様子を見ることができる。)

製造中の変化

極初期型(先行量産型)

1942年5月から42年12月までの型である。
外見的特徴は防弾ガラスのはめられたスリット式の車長用ハッチの初期型キューポラ、砲塔に発煙弾発射器を装備。また、砲塔右側に脱出ハッチが無くピストルポートバイザーが付いている。潜水装備あり。

初期型

1942年12月から43年7月までの型である。
外見的特徴は砲塔の発煙弾発射器が廃止され、車体側面5ヵ所にSマイン(空中炸裂対歩兵榴散弾機雷)や発煙弾の発射機を搭載、砲塔右側のピストルポートが廃止され厚さ80ミリの脱出ハッチが新たに装備されている(閉開にはかなりの筋力を要する)。また、この型の43年5月の251号車からエンジンが上記のHL230P45に換装され少々パワーアップした。潜水装備あり。

中期型

1943年7月から44年2月までの型である。
外見的特徴は潜水装備の廃止。スライドハッチ式の安全な新型ペリスコープ式キューポラに変更(それまでのはハッチを閉めるのに車長が半分体を乗り出す必要があった)。左側面に残っていたピストルポートバイザーが装甲栓形式に変更、最終的に廃止。転輪は初期型と同じく直径800mmのゴム縁タイプとなっている。9月になると対磁気用のツィンメリット・コーティングが塗布された。

後期型

1944年2月から3月までの型である。
外見的特徴はゴム縁タイプであった転輪がゴム内臓の鋼製転輪に変更されている、(ティーガーⅡと同じ)この転輪の採用と共に転輪の配置構成が変更及び数が削減されて鉄道輸送用履帯に履き替える時に外側4枚を外さなくても良いようになり幾分整備性が向上した。キューポラは中期型と同じものを装備。

最後期型

1944年3月から生産終了までの型である。
外見的特徴は砲塔上面に中から発射できるSマインが装備されたこと、照準器が単眼式Tzf9cに変更されたことで主砲防盾の照準孔が2つから1つになっている。さらに60kgあった大型マズルブレーキがティーガーⅡと共通の35kgの小型軽量のものに変更されている。6月からは砲塔上面にピルツ(前線でエンジン等を下ろすための簡易組み立て式2トンクレーンねじ込み基部)3個を装備、以前の生産車にも前線で溶接された。

派生型とバリエーション

シュトゥルムティーガー

シュトルムティーガー


戦場で損傷し後送された既存の車両を修復及び改修し生産された敵陣地突破用突撃臼砲。
トーチカや要塞化された建物を一撃で粉砕するためのもので主砲として戦艦の主砲並みの威力を持つ380mmロケット砲(38cm Raketenwerfer 61 L/5.4)を備える。重量345㎏、炸薬量126kgの砲弾を発射し、その威力は第1001中隊の1輌は西方防壁の占領されたトーチカを一発で破壊し、村に集結していたアメリカ軍上陸部隊の戦車隊への一発はその爆発の衝撃波で周辺の戦車を戦闘不能に陥いらせたとの手記があるほどである、生産台数は18両。

ベルゲティーガー(ティーガー回収戦車)

戦場で損傷した車両を現地改修して主砲を取り外し、クレーンを砲塔に取り付けた戦車回収車。生産台数は3両。

ティーガーⅡ
鋼鉄の虎の後継として戦闘力をさらに強化した第二次世界大戦通じて世界最強の戦車、王虎

現存するティーガーⅠ


車台番号250031極初期型 アメリカ・フォートベニング機甲博物館

1942年12月製造、元第504重戦車大隊所属砲塔番号712番、1943年5月にアメリカ軍によりチュニスにて鹵獲される、その後アメリカ本国に運ばれさまざまな性能試験が行われた。

車台番号250112初期型 イギリス・ボーヴィントン戦車博物館

ティーガー131と呼ばれる、1943年2月製造、第504重戦車大隊第1中隊第3小隊砲塔番号131としてチュニジアに配備、1943年4月21日にイギリス軍との戦闘後放棄され車体はほぼ無傷で鹵獲され戦意高揚の為に各地で展示された後、戦車技術学校にて各種性能の試験及び研究が行われた、1951年9月25日にイギリス軍需省からボービントン戦車博物館に寄贈されその後1990年から2003年にかけてレストア作業が行われ世界で唯一自走可能な動態保存車となっている。

車台番号250427中期型 ロシア・クビンカ戦車博物館

1943年9月製造、元第424重戦車大隊所属車両、指揮戦車仕様、1945年1月にソ連軍により鹵獲されクビンカ装甲車両中央研究所で各種試験を受けた後博物館行きとなる、現在は第501重戦車大隊仕様のダークイエロー+レッドブラウンに塗り替えられ部隊章もそれとなっている。

車台番号251113後期型 フランス・ヴィムティエ村

1944年5月製造、元SS第102重戦車大隊所属車両、1944年8月にこの村の近郊に来た時点でこの近辺の急勾配の坂道により機械的故障が発生し、この戦車を障害物としてアメリカ軍の侵攻を遅らせようと乗員により道の真ん中で爆破放棄された、その後3台のブルドーザーを使って道の横の深い溝に落とされたがこれにより撤去が非常に難しくなり終戦後まで放置されることになった、(このおかげで同じように同地に放棄された他の戦車のように金属スクラップになることもなかった)1970年代に地元の人によりなんとか溝から引き上げられ損傷部分の復元が行われ現在も同村に展示中。

車台番号251114後期型 フランス・ソミュール戦車博物館

1944年5月製造、元SS第102重戦車大隊第二小隊所属車両、上記の車両と1番違いであるが少々異なりこちらはピルツがついている(おそらく前線で装着されたもの)1944年8月に機械的故障により放棄された後レジスタンスのパルチザンにより鹵獲されフランス軍により"Colmar"と名付けられいくつかの任務に投入される、1945年5月8日のドイツの降伏まで生き延び、その後1946年にフランス陸軍により技術試験を受けた後、輸送用履帯を履かされソミュール戦車博物館の展示品となり現在に至る。この戦車はたびたび色が塗り替えられており2色迷彩や現在では3色迷彩仕様となっており、横には戦車兵服を着たかのエース、オットー・カリウスのマネキンが置いてある。砲塔番号は221番となっている。

車台番号251227後期型 ロシア・レニノ村兵器展示場

1944年6月製造、元第510重戦車大隊所属車両、ラトビアにてソ連軍に鹵獲されレニノ村兵器試験場にて射撃目標となり恨みもあってか親のカタキのように砲弾が撃ち込まれ蜂の巣状態となっている(それでも原型を留めているのがこの戦車の耐久性を表している)、現在は個人のコレクションであり現在も同村に展示中、現在は盾にベルリン熊の同第510重戦車大隊のマーク及び3色迷彩に塗り替えられている。

登場作品

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