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概要編集

開発経緯編集

戦間期に歩兵戦車の決定版として開発されたマチルダIIだが、第二次世界大戦が始まってしばらくすると火力不足が目立つようになってきていた。しかし同車は当時の武装水準に最適化しすぎた結果砲塔リングが小型で、最大でも2ポンド砲や3インチ榴弾砲までの主砲しか装備出来なかった。それだけでなくイギリス軍はダンケルクの戦いで大量の戦車を遺棄せざるを得なかったことから、特に北アフリカ戦線のために大量に戦車を用意する必要に迫られた。このため、マチルダIIよりも発展性のある大型歩兵戦車として開発されたのがチャーチル歩兵戦車である。


ただし限られた時間で開発を終わらせるために、基本設計は戦間期に作られた試作戦車(多砲塔戦車)のA20をベースにしている。

同車は造船会社のハーランド・アンド・ウルフ社がマチルダIIの後継として設計したものであるが、ほとんど第一次世界大戦時代の菱型戦車に砲塔をつけただけの時代錯誤的な設計であったため、一旦は不採用となっていた車輌である。しかしこの時になって車体が大型であることと砲塔を装備していたことから再び日の目を見ることになった。

A20の改良作業はボクスホール社が担当し、陸軍省設計番号はA22が割り当てられた。


設計編集

極めて厚い装甲と基本設計はマチルダIIのそれと概ね同様であるが、特徴的なのはその長さであり、全長は7.44mに達している。マチルダIIが5.6m、クロムウェル巡航戦車が主砲の長さを含めて6.35mであることと比べると、車体だけで7.44mというのがいかに長いかがわかる。しかもその長さは車体の前後にオーバーハングするように突き出た履帯部分に由来し、これが同車に極めて高い不整地走破能力を与えている。装甲は従来車よりも強化されており、Mk.IIで100mm、Mk.VIIでは最大152mmに達したが、重量は40~45tとイギリス戦車の中でも破格の重さであった。またバレンタイン歩兵戦車と違って装甲板は垂直面で構成されており、避弾経始は全く考慮されていなかった。

サスペンションは古典的な小転輪多軸式であるが、リーフサスのマチルダIや水平コイルスプリング式のマチルダIIと異なる垂直コイルスプリングによる緩衝装置や幅が広い履帯、メリット・ブラウン式変速・操向装置(超信地転回が可能な特殊構造のギアボックスで、一般自動車と同じようにハンドルで操作する変わったシステム。メリット・ブラウン式変速・操向装置自体はイギリスの発明だが、同種のものが最初に採用されたのはフランスB1重戦車で、後にドイツ側にも模倣されティーガーIに搭載された)を備え、車体に直接取り付けた主砲を車体の転向によって照準する設計(初期型)など、フランス式の設計思想が取り入れられているのが特徴である。起動輪はイギリス戦車の伝統で後ろであり現代戦車にも通じるが、超壕時に履帯の脱落を防ぐ目的で前方の誘導輪にもスプロケット(歯型)が付いており、古い戦車設計の名残が見られる。

エンジントラック用直列6気筒エンジンを2つ連結したもので、350馬力と車重に対して小さい。しかしギア比が大きいため発進は容易であり、急斜面でも楽に登ることが出来た。その一方で最高速度は24km/h程度である。

もっとも歩兵戦車としてはこれでも高速な部類に入り、もっぱら不整地を突破することに特化したサスペンションの構造ゆえ、仮にエンジン出力が大きくても高速走行など不可能な設計であった。もとより最高速度は求められていなかったためこれでも問題視されなかった。

試作車を見た時のチャーチル英首相からのお墨付きを与えられたA22は「歩兵戦車Mk.IV チャーチル」として急ピッチで製造が開始されることになった。初期発注数は500両であった。


武装編集

初期は砲架の設計が追いつかなかったため従来車と同じ2ポンド戦車砲に同軸の7.92mmベサ機関銃の組み合わせのままだった。その代わりに車体に3インチ榴弾砲を装備し、榴弾の発射できない2ポンド砲の代わりに軟目標を破壊するものとされた。3インチ榴弾砲は左右の旋回は車体の旋回によって行い、砲自体は上下方向にのみ動かすことが出来た。その結果、フランスのB1重戦車にきわめてよく似た戦車となった。

尤もこの配置は2つの砲の連携が取れないことから、Mk.IIでは早々に榴弾砲を撤去してベサ機関銃に換装し、一般的な戦車と同じ武装としている。Mk.IIでは支援戦車仕様としてMk.Iの砲の配置を入れ替えたものも施策されたが、不採用となった。

Mk.IIIでようやく6ポンド砲を搭載し、劣勢とはいえドイツ戦車との砲戦がまともに行えるようになった。同時期に砲塔を鋳造で製造したMk.IVも開発され、こちらのほうが良好であるとされ以後の型では鋳造砲塔のみになっている。この内一部の車両は主砲を北アフリカ戦線で撃破されたM4中戦車から取り外した75mm戦車砲を天地逆さまにして現地で強引に換装している(North Africa 75mmを略してNA75改造という)。75mm戦車砲は貫通力は6ポンド砲より劣ったが、榴弾も発射できたことが大きな利点とされた。またMk.IVの主砲を95mm榴弾砲に交換したMk.V、6ポンド砲架にアメリカ製75mm戦車砲弾を発射できるQF 75mm砲を搭載したMk.VIも製造された。

Mk.VIIでは車体が半リベット止構造から全溶接構造に切り替わり、更に装甲が大幅に強化された。ただし重量増加のため変速機のギア比を変更しており、最高速度は20km/hまで低下した。MK.VIIの車体に95mm榴弾砲を搭載したMk.VIIIが、戦車型としては最終タイプとなった。


実戦編集

チャーチル歩兵戦車は1941年6月から部隊配備が行われたが、当初は調整不足で初期不良が連発した。特に変速機のトラブルが多く、メーカーから各部隊の整備班に技術者が派遣され対処にあたった。しかし初期不良が収まるまで半年以上もかかったため、マチルダの代わりに急遽戦場に送るという当初の目的は達成できなかった(ただし特に問題のなかったバレンタイン歩兵戦車がかわりに送られたため、とりあえず戦車不足は緩和された)。

チャーチル歩兵戦車の初陣となったのは配備から1年2ヶ月後の1942年8月、フランスのディエップへ奇襲上陸するジュビリー作戦での第14陸軍直轄戦車大隊所属の車輌37両であった。しかしこの作戦は目的が判然としない上に英軍将校が作戦計画を漏洩したため奇襲がドイツ側に事前に露呈し、万全の装備で迎え撃つドイツ軍に多くが水上で揚陸艇もろとも撃破されてしまった。しかも指揮官のマウントバッテン伯爵中将が指揮能力に欠けており、彼がコンクリート壁のある場所に戦車を進めさせたため壁の前で詰まってしまう。そこへドイツ空軍が爆撃を加え、戦車部隊は壊滅。無意味な作戦は戦車兵1名以外全員死亡という大損害を残して終わった。なお沿岸に構えていたドイツ軍の対戦車砲ではチャーチルの重装甲を全く貫通できなかったことが確認されている。


その後の上陸作戦では、沿岸防壁を破壊する専門のチャーチルをベースにした工兵用車両を装備し、これによって一気に沿岸への上陸を行うこととされた。これにより開発されたのがチャーチルAVREで、主砲を撤去してかわりに巨大な迫撃砲を装備した。この車両は実用性が高く、戦後まで永く現役に留まっていたが、イギリス以外の国では同種の車輌が開発されることはなかった。この車両は第79機甲師団「ホバーツ・ファニーズ」の事実上の専用機材で、同部隊はこの他にもチャーチルをベースにした特殊車両を多数運用していた。

この他車体の前方機関銃を撤去して火炎放射器を搭載したチャーチル・クロコダイルという車両もあった。この車両は被弾時の引火炎上対策として燃料タンクは後ろに牽引した専用のトレーラーに積載し、主砲は装備したままなので通常の戦車としても使える設計だった。

これらの車両を装備したチャーチル部隊は、D-デイ作戦におけるゴールドビーチの戦いにおいてドイツ軍を圧倒した。


1944年後半になってくるとさすがに主砲の性能が不十分と考えられるようになったが、この頃にはもはや歩兵戦車そのものが主力ではなかった。この頃には連合軍が優勢となっており、追撃戦には速度の遅い歩兵戦車は不適切な装備と考えられたためである。それでもその重装甲が重宝される機会は多く、しばしば露払い役として重要な役割を果たした。また、非常に高い走破性能もしばしば実力を発揮しており、普通の戦車ならまず通れない岩だらけの急斜面を踏破してドイツ軍を奇襲、補給部隊を壊滅させたという記録も残っている。

イギリス軍における戦車型チャーチルの完全な引退は1952年のことであった。


また相当数がソ連にレンドリースされ、1943年1月にはスターリングラード奪回のために、第48独立親衛突破重戦車連隊に配備された21輌が実戦投入された。操縦が楽で居住性に優れるためソ連軍での評価は高かったが、車両の名前の由来であるチャーチル英首相が反共主義者だったため、チャーチル戦車による戦果は対外的にはソ連製の別の戦車によるものとすり替えられた。

尤も火力が不十分と考えられたため、国産新型戦車の供給が安定すると次第に補助的な役割に充当されていった。それでも多くの車両が戦後も数年間現役に留まっていたとされる。


性能諸元(Mk.VII)編集

全長:7.44m

全幅:2.74m

全高:3.45m

重量:40t

エンジン:ベッドフォード・ガソリンエンジン 350馬力

速度:最大20.1km/h

装甲:25~152mm

武装:75mm戦車砲M3 1門 7.92mm ベサ機関銃 2丁


動態保存車編集

動態保存のMk.IV、チャレンジャー2との並走

余談編集

チャーチル曰く、

"That is the tank they named after me when they found out it was no damn good!"

(あいつらこれが全然ダメだと気づいたんで俺の名前を付けやがった!)


チャーチル本人が推進しといてアレだが、自分の名前がつくのは嫌だったのだろうか。


登場作品編集

イギリスの重戦車としてMk.I、Mk.II、Mk.VII、3インチガンキャリアが登場。ドイツの重戦車としても鹵獲仕様のMk.IIIが登場している。


イギリスの戦車としてMk.I、Mk.VII、3インチガンキャリアが登場。ソ連レンドリース仕様のMk.IIIも登場している。


イギリス軍重戦車としてMk.VIIが登場。


シリーズ全作品に登場。

初代PS「コンバットチョロQ」にはMk.VIIが登場。ユニット名が「チャーチル7」のため一部で「チャーチル」と誤植されることもあった。

序盤のちょっと硬めの敵みたいな扱いの戦車が多いイギリス戦車の例にもれず防御力はそこそこ、火力は控えめの性能だが、問題は登場するステージ。

全48ステージ中の作戦34という後半になっての登場で、しかもミッション内容は街からの脱出。正攻法で進めば通らない場所に配置されていることもあって、プレイヤーの多くはバトルアリーナでしかその姿を見たことがないだろう。

PS2「新コンバットチョロQ」にはMk.II、Mk.IVとAVREが登場。

それぞれ友軍戦車として登場するが、Mk.IIは序盤の街に駐留しているだけで直接ステージ内で共闘する機会はない。

Mk.IVは登場ステージでヘリコプターから空中投下されるというチョロQならではの登場を見せる。

Mk.IIは「救え戦火の友軍」、Mk.IVは「砲と煙との狭間で」をクリアすると使用可能になる。AVREはバトルアリーナ「ワイルド」で対戦し、勝利すると使用可能となる。

いずれも同軸機関銃タイプ「T」カテゴリーと車体機関銃タイプ「B」カテゴリーの武装を装備できる。

GBA「コンバットチョロQ アドバンス大作戦」ではMk.IVが主人公チームの一員鉄ジイとして登場。「6ポンドカノン」と「チャーチルタンク」で再現できる。

火力と命中率に優れる6ポンドカノンと初期装備では珍しく密林での行動能力に優れるチャーチルタンクのおかげで初期メンバーの中では強力な戦力になりうる。

敵タンクとして登場する際には特にサブウェポンを装備していない。


聖グロリアーナ女学院がMk.VIIを使用する。


関連タグ編集

イギリス軍の戦車(戦間期~第二次世界大戦期)
巡航戦車Mk.I Mk.II Mk.III Mk.IV Mk.V Mk.VI Mk.VII Mk.VIII チャレンジャー コメット センチュリオン グラント シャーマン ファイアフライ
歩兵戦車Mk.I Mk.II Mk.III Mk.IV
軽戦車Mk.VI Mk.VII Mk.VIII

戦車 歩兵戦車

B1bis - 上述の通り、Mk.Iの時点では兄弟車と言っても過言ではないほどに設計が似ていた。

ブラックプリンス - チャーチル歩兵戦車の車体を拡大し、17ポンド戦車砲を搭載した車輌。センチュリオンと比べて総合的に劣るということで試作のみにとどまった。

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