もちろん、現用戦車のチャレンジャー1及びチャレンジャー2とは無関係である。
概要
正式名称は「巡航戦車Mk.Ⅷチャレンジャー(A30)」。
国産戦車のクロムウェルに17ポンド砲を搭載した戦車として開発された。
大型の17ポンド砲を搭載するため、車体は転輪1個分延長され片側6個転輪となった。
車体に対してミスマッチな背の高い砲塔が特徴的だが、これはTOG-2超重戦車の砲塔を装甲を削ったうえで流用したものだった。
当時すでに17ポンド砲を搭載するものとして開発が進んでいたTOG-2の設計を流用することで開発期間を短縮することを狙ったものであるが、この砲塔は巨大なTOG-2の車体に載せることを前提に、重量やサイズを度外視して装填手を二名載せて発射速度を向上させることを前提としたかなり特異な設計を有し、中戦車であるチャレンジャーに流用するにはミスマッチなものであった。しかし17ポンド砲を搭載する先行する計画がTOG-2の他になかったのでよせばいいのにこれをポン付けしてしまった。基本コンセプトの時点でボタンを掛け違えたまま開発を強行した結果、重量過大や砲弾の格納レイアウトなど次々と問題が発生し、開発の短縮どころか開発を遅滞させた挙句失敗に終わらせる原因となってしまった。結果的にチャレンジャーを蹴落とすことになるファイアフライも「既存の設計を流用する」というコンセプトは同じだったのだが、どうしてここまで差がついたのか・・・
砲塔も巨大なものとなり背の高いアンバランスなシルエットとなってしまい、敵から発見されやすいといった問題を抱えることとなった。
実は装填手は2名必要とされ、理由は装填手を2人要するTOG-2の砲塔を流用したことと、砲弾が長大である上に狭い車内に砲弾が分散配置されたからである。
さらに狭い車内で砲弾搭載数を確保するため、原型のクロムウェルに装備されていた車体前部の機銃は撤去され砲弾搭載スペースとされた。
また17ポンド砲搭載と、中戦車用としては不必要に巨大な砲塔による重量増を抑えるため、装甲も原型のクロムウェルより薄くされてしまっている。
砲塔は流用元のTOG-2では基本装甲の上に増加装甲をボルト止めする仕様だった。チャレンジャーへの流用にあたって増加装甲は廃止されたが、それでもなお重量過大で車体も含めてあちこちの装甲を削る羽目になっている。
最初の試作車は1942年8月に完成していたのだが、上記のようにあまりにも無様な出来だったため量産開始は1944年3月までずれ込んでしまうという有様であった。
しかもその間に、アメリカ製のM4シャーマンに17ポンド砲を搭載した「ファイアフライ」が何の問題も無く完成してしまい量産配備が進んでいたため、本車の量産は200輌が発注されたにとどまった。
イギリス軍需省はファイアフライの改造プランを握りつぶすほどにチャレンジャーに入れ込んでいたのだが、そのチャレンジャーが無様な出来になってしまった上、軍需省に無断で試作されたファイアフライがあっさり完成してしまうという皮肉な結果となった。
ノルマンディー上陸作戦時には31輌しか完成していなかったことに加え、防水対策がいい加減だったため参加することが出来なかったという体たらく。
実戦配備は上陸を果たした1944年の8月からとなった。
原型のクロムウェルから継承したロールスロイス・ミーティア・エンジンは十分な出力を持ち、懸念されていた重量問題は西部戦線での運用の結果杞憂であった。
ファイアフライが戦車連隊に先行配備されていたため、本車は機動性の求められる機甲偵察連隊(クロムウェル3両につき本車1両の混成)に配備されたが、部隊での評判は意外に悪くなかったという。
発注された200輌のうち、試作車を含め175輌(197輌という説もある)が生産されるに止まったチャレンジャーは終戦後退役し、スクラップや訓練用の標的となり消えていった。
ちなみに本車をベースに砲塔をオープントップにした駆逐戦車「アベンジャー」も開発されたが、チャレンジャー自体が駆逐戦車のようなものなのにそれを何故また?という、いかにも英国面な出来事もあった。
アベンジャーだが、性能自体はチャレンジャーとそう変わらず、さらにコメット巡航戦車の量産を優先していたため生産開始はドイツが降伏した1945年にずれ込んだという有様であった。