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センチネル巡航戦車

せんちねるじゅんこうせんしゃ

第二次世界大戦時にオーストラリア陸軍で開発・運用された巡航戦車である。
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概要*編集

開発背景編集

イギリス海外自治領であるオーストラリア第一次世界大戦時に派兵はしたものの国防戦力は極めて少なく、また基礎工業力も同じ自治領のカナダよりも劣っており、自動車すら生産したことがない有様であった。しかし、第二次世界大戦の勃発によりイギリスからの武器供給が難しくなり、太平洋でも日本アメリカの間で緊張が高まっていた

このため1940年7月、オーストラリア自治政府は国産戦車の必要性を真剣に考え始めることとなる。


開発編集

1940年11月に陸軍から国産戦車の要求仕様書がまとまられた。仕様は以下の通り。

重量は16~20t、武装にはイギリス製の2ポンド(40mm)戦車砲と1~2挺の機関銃を装備し、最大装甲厚50mm、路上最大速度30マイル(48.28km)/h、路上航続距離150マイル(241km)、乗員4~5名


自治政府と軍はこの計画にゴーサインを出した。情報収集のため技術責任者のA.チェンバレンがアメリカに送られると共に、イギリスに要請して戦車の専門家のW.D.ワトソン陸軍大佐の派遣をしてもらい戦車設計局長に任命された。新規設計の車体を製作するより既存車両のコピー生産が現実的と判断されアメリカのM3中戦車の主要コンポーネントを流用した。エンジンはキャデラックの自動車エンジンを3台つなげたものが採用され、様々な紆余曲折を経て1941年10月にAC Iが完成する。


量産と結末編集

1942年1月パイロットモデルである3両が完成、AC Iの試験が行なわれるとともに量産準備が進められた試験結果を受けて改善された量産車が1942年8月に完成した。

AC Iには「センチネル(Sentinel:『歩哨』)」の名称が与えられた。しかし、このころになると敵である日本軍のオーストラリアへの進行の可能性がなくなり、また、M4中戦車の供給が始まると1943年7月には生産中止となった。総生産数は66両であった。


3両の現存が確認されており、オーストラリア陸軍戦車博物館に1両、ボービントン戦車博物館に1両、オーストラリア陸上兵器博物館に1両が保存されている。

このうちオーストラリア陸上兵器博物館の1両は元々個人所有だったが、所有者が死去したため競売にかけられウォーミングゲーム社が同博物館との共同プロジェクトで落札、同博物館に移送したものである。


派生型編集

後続計画として主砲を25ポンド砲に変更したAC III、17ポンド砲を搭載したAC IVが試作されているが、いずれも配備はされなかった。


ACIII型はオーストラリア戦争記念館トレロアー技術センターに、ACIV型はオーストラリア陸上兵器博物館にそれぞれ保存されている。


余談編集

車体前方機銃を覆う装甲カバーの形が卑猥なものを連想させる点で、たびたび話題になる。


主な登場作品編集

  • トブルクのネズミ

1944年公開の戦争映画。実車が登場する唯一の作品とされている。

イギリスの中戦車としてACIV型が登場。

イギリスの中戦車としてACI型・ACIV型が登場。

コアラの森学園の主力戦車としてACI型が登場。


関連タグ編集

巡航戦車 ラム巡航戦車 M4シャーマン

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