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ミハエル・ヴィットマン

みはえるゔぃっとまん

ミハエル・ヴィットマンとは、ドイツ第三帝国の親衛隊員である。
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プロフィール

生誕 1914年4月22日 - 1944年8月8日
最終階級 SS大尉
所属組織 武装親衛隊
軍歴 1937年 - 1944年


概要

ミハエル・ヴィットマン(Michael Wittmann)は、「第二次世界大戦」中のドイツ第三帝国の親衛隊員で、開戦時から1944年4月まで一貫して武装親衛隊のライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー(LSSAH)(連隊→旅団→第1SS装甲師団)に所属していた戦車兵である。
1941年6月22日より始まったロシア侵攻「バルバロッサ作戦」では三号突撃砲に搭乗しておりウマーニ戦で16両の敵戦車を撃破したと言われる。ロストフ防衛線で負傷し本国送還になると共に士官に推薦され、バート・テルツSS士官学校で教育課程を修了してSS少尉となりLSSAHの第1SS装甲連隊の第13中隊に配属されティーガーの車長となる。
照準の名手であるヴァルタザール・ヴォルSS上等兵とのコンビで、一時降伏したイタリアでイタリア軍の武装解除に活動した以外は東部戦線で第三次ハリコフ攻防戦クルスクの戦いなどを戦い続け戦果を重ねていき、1944年2月2日には総統大本営でヒトラーから柏葉付騎士鉄十字章を受勲しSS中尉となった。
4月に第13中隊は第101SS重装甲大隊に組み込まれ、ヴィットマンは第2中隊長となった。
6月6日より始まった連合軍によるノルマンディー侵攻に第101SS重装甲大隊も参加し、6月13日の「ヴィレル・ボカージュの戦い」では第130装甲教導師団の側面を衝こうとしていた英第七機甲師団の一個旅団をヴィットマンは当初は自らのティーガーのみで攻撃し、後に第1、第2中隊、装甲教導師団、第2装甲師団などの援軍も得て撃退する事に成功した。ヴィットマンはこの戦いで一説には27両余りの敵車両を撃破し、搭乗したティーガーが対戦車砲により履帯を破壊され撃破されたものの、その場に敵歩兵が居なかった事もあり無事に脱出する事が出来た。この戦いで既にティーガーの車長となっていたヴォルと一時的にコンビを復活させ、油断しきって休憩している英軍を見たヴォルの「ふん。奴らもう勝った気でいやがるな」という言葉を受けてヴィットマンが「よし。では教育してやるか」と攻撃を始めた逸話は有名である。(もっとも、この戦いはドイツの宣伝省にかなり脚色された面もあり、ヴィットマンの功績は不動ながらも真偽の定かでない面も多い)
この功績で25日に総統官邸で再びヒトラーの手で柏葉剣付騎士鉄十字章を受勲し、SS大尉に昇進すると共に第101SS重装甲大隊長に任命された。
8月8日、英軍の一大攻勢であるトータライズ作戦で新兵を気遣って同行して作戦中、カナダ第四機甲師団のファイアフライの待ち伏せにより二両のティーガーと共に彼の007号車のティーガーも被弾・撃破され戦死を遂げた。
撃破数は戦車138両、対戦車砲132門と最も多くの敵戦車を撃破した戦車兵の1人であった。

関連イラスト

ミヒャエル・ヴィットマン
1944.6.13 ヴィレル・ボカージュ



関連タグ

LSSAH連隊 軍人
Diesirae - 登場人物の一人ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンの正体とされる。

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