概要
スペイン内戦
1936年に起こるスペイン内戦はマヌエル・アサーニャ率いる人民戦線政府と、フランシスコ・フランコを中心とした反乱軍の争いであるがその内戦にはドイツ、イタリア、ソ連などの国々が様々な形で干渉し各国の戦車が戦場で運用された。1939年にフランコによる勝利宣言により内戦は終結、軍の再編が行われるさなか内戦における戦車の有用性を目の当たりにしたスペイン軍内部では国産戦車の機運が高まることとなる。
内戦までのスペイン戦車
戦車開発に乗り出そうというもののスペインの機甲戦力はルノーFT-17を改良したトゥルビア戦車と農業用トラクターを改造したランダサの経験しかなく戦車の新規設計の経験は全くなかった。
開発
本計画を推進したベルデハ将軍はまずドイツ、イタリア、ソ連の各国の戦車を検証した結果ソ連のT-26を参考に開発することとなった。足回りはT-26と類似のものとしているが、車高がT-26のままでは高すぎることと砲塔に不満があったため全くの新規設計となった。1938年プロトタイプが完成各種試験を行った結果、1940年に『ベルデハⅠ』の量産が開始される。
1940年5月より開始されるドイツ軍のフランス侵攻に影響を受け、1941年ベルデハⅠの改良発展型の『ベルデハⅡ』開発に着手することとなる。開発はベルデハ将軍がドイツ本国の工場視察及び参謀本部にて戦車に関する資料提供を受けそれをもとにベルデハⅠの低車高で被弾形始の良い砲塔を踏襲しつつ主砲を75㎜砲とし無線機も搭載しそれに伴う車体の大型化、装甲圧の改善など発展型というよりも新設計の車両となっている。しかし、プロトタイプが完成するも資材不足等の理由により量産には至っていない。
量産
ベルデハⅠの調達は1000両が計画されスペイン陸軍は機甲部隊整備に並々ならぬ期待をしていたことがうかがえる。しかし、基礎工業力が限られ尚且つ資材の不足もあり量産は伸び悩み完成車両は100両にも満たなかった。
第二次世界大戦後のベルデハ
スペインは二次世界大戦を中立国として乗り切ったもののフランコによる独裁体制であるため、諸外国には温かく迎えられるわけもなく武装調達もままならなかった。そこで着目したのが放置していたベルデハⅡであった。新しいディーゼルエンジンを搭載し試験が行われたものの車体が古く戦力化は困難となり再び放置状態となり、射撃目標物となっていたときもあったようであるが、今は手厚い保護のもとトレドの歩兵アカデミーに展示されている。