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T-70

てぃーななじゅう

独ソ戦の中期にソ連軍が運用した軽戦車。
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開発経緯

1942年1月、N.A.アストロフ技師は火砲開発をしていた第92工場設計局とともにT-60の火力向上型を開発することとなった。

開発

1942年4月、45mm戦車砲ZIS-19BMと、それに合わせ新設計された砲塔を搭載した車両『T-60-2』が完成した。さらに装甲と機動性能を改善した新型車体を持つ『T-45』の開発を企図した。開発コンセプトは、45mm戦車砲を装備する1名用砲塔を持ち、車体装甲厚25~45mm、傾斜装甲により防御力を中戦車並みとし、ディーゼル・エンジンを搭載するというものであった。
しかし1942年春になっても戦線は安定せず、前線では1輌でも多くの戦車が求められた。車体はT-60ベース、エンジンはガソリン・エンジンのGAZ-202二基に変更し、『T-70軽戦車』として制式採用された。

生産

T-70は1942年中に4,883輌、1943年に3,343量が生産され1943年に生産が終了されるまでに8,226輌が生産された。

実戦

T-70は傾斜装甲のため、ドイツ軍からT-34と誤認されることがあった。
1942年の夏から戦場に姿を見せ、天王星作戦チタデレ作戦など独ソ戦中期の重要な作戦に参加し、1944年にソ連指揮下で再建されたポーランド人民軍戦車隊にはT-70が供与されたが、戦闘能力が低いため順次後方部隊に回され、1948年まで訓練用戦車として用いられた。
労農赤軍も「1943年後半まで量産を続けたのは失敗だった」と認めている。
しかし、T-70の車体を流用した自走砲SU-76独ソ戦後半に活躍し、16,698輌が生産された。

関連タグ

軽戦車 T-60 SU-76 ソ連軍

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