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概要編集

日本政治家。第74代内閣総理大臣、第12代自民党総裁(在任昭和62年11月~平成元年6月)。大正13年2月26日生まれ。


政界参入前編集

実家は島根県の造り酒屋で、同地の大富豪、田部家(山陰中央テレビのオーナー)の支援を受け、父の跡を継いで衆議院議員となる。


竹下内閣編集

昭和最後、平成最初の内閣総理大臣である。それ故に、昭和天皇の大喪の礼を取り仕切った。昭和63年9月の昭和天皇吐血から崩御まで万が一の場合に備え、皇居から30分以内の範囲内にしか出歩かないようにしていた。

自民党史上最大の勢力を誇った田中派→竹下派の領袖であり、政権当初は最も盤石な政権とされた。


消費税導入、ふるさと創生事業、発展途上国への給付金譲渡などを手掛けたが、国民にはいずれも評判がはなはだ悪く、支持率は急降下。リクルート事件がダメ押しとなり退陣した(更に発展途上国への資金譲渡が第一次平成不況を招いたとされる)。


退陣後と竹下派編集

退陣後も竹下派領袖、後の小渕派後見役として政界の大物として君臨したが、派閥は橋本龍太郎小渕恵三を中心とする小渕派と、羽田孜小沢一郎を中心とする羽田派に分裂し、後者は後に平成5年以後の政界再編の源流の一つである新生党を結成して派閥のみならず自民党を集団離党している。


家族関係編集

次女と元毎日新聞記者との間に漫画家の影木栄貴、ミュージシャンのDAIGOの姉弟がいる。DAIGOは消費税導入を決めた張本人の孫ということで、学校でも随分と責められたという。またDAIGOが髪を青く染めた時には番記者に「ロックは髪を青くしなきゃ出来ないのか」と尋ねたエピソードが残る。


2回結婚しており最初の妻は自殺で喪っている。この経緯で様々な噂に苦しめられたり、自殺直前の妻を怒ってしまった後悔から以降彼は「表立って他人を怒らない」よう心がけていた。

しかし宮澤喜一東京大学卒であることを自慢する悪癖持ち)から早稲田大学出身である事を馬鹿にされたときだけは激怒していた。

遠縁だった後妻との間に娘は3人おり、DAIGOの義伯父にあたる人物は同じく田中派の大物金丸信の長男である。この金丸の長男と竹下の長女との間に生まれた初孫もまた、かつて同人誌の出版に携わっていた同人作家であった。三女は大手ゼネコンの家に嫁いでいる。


息子はいたが、早世したのと、病気のために政界引退後は父・勇造が後妻との間に儲けた22歳年下の異母弟・(平成26年9月から復興大臣)が地盤を継いで衆議院議員となった。


選挙中の死編集

平成12年6月19日に76歳で病死。最後の入院生活中も見舞いに来た孫たち相手に税制や選挙の話をし続けていたという。


関連タグ編集

政治 平成 消費税 島根県

田中角栄 橋本龍太郎 小渕恵三 小沢一郎

ウーパールーパー


村山富市:同い年の総理大臣経験者。


中曽根康弘竹下登宇野宗佑

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