安倍晋太郎
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あべしんたろう
日本の政治家。安倍晋三の父親。
衆議院議員の安倍寛(安倍晋三の父方の祖父)の長男。異父弟に銀行マン西村正雄(正雄には姉(晋太郎にとっては異父妹)がいたが早逝している)。岳父に内閣総理大臣の岸信介(安倍晋三の母方の祖父)がおり、義理の叔父は内閣総理大臣の佐藤栄作(安倍晋三の大叔父)、次男は内閣総理大臣の安倍晋三、三男は岸信夫(安倍晋三の弟。岸家に養子に出された。)といった政治家一族である。ちなみに、長男の安倍寛信(安倍晋三の兄)は政治家になるのを拒否したため三菱商事の重役となっており政治家にはなっていない。
政界のプリンスと呼ばれ、竹下登、宮澤喜一と並び、ニューリーダーの一人に数えられて「安竹宮」(あんちくぐう、あんちくみや)として将来を嘱望された。派閥である清和会の長となり、総理総裁を確実視されるまでに至ったが、それを目前にして67歳で病死。悲運のプリンスと呼ばれた。
- 母とは生まれてすぐに生別しており、再婚したことを知るものの再会することはかなわなかった。自身は大伯母によって山口県内で育てられていた。
- 所謂二世議員であり政治家一族の一員であるものの、岳父である岸信介の威光を有しながらも選挙地盤を築くのには父・寛同様に苦労しており、特に寛の実質後継だった周東英雄との争い(学生時代は晋太郎が周東の応援演説をしたこともある)や大票田である下関市を巡っては下関市を地盤としているサンデン交通各社を率いる林一族の林義郎等とも戦う(林義郎の両親は晋太郎最初の選挙時の後援会長及び婦人部長だった)、三度目の選挙では落選を経験する等、終始盤石であった晋三と異なり平坦な道のりとは言えない部分もあった。そもそも晋太郎の地元は長門市であり下関市は選挙区でこそあれ地元とは言えなかった。下関市においては在日韓国人や在日朝鮮人及び帰化人及び林一族の恩恵を受けていない層との繋がりを築いている。
- これらは当時の中選挙区制では安倍が出馬していた山口1区をはじめ、後に福田赳夫・中曽根康弘・小渕恵三と3人が総理大臣経験者となった群馬3区、「死人が出る」とまで言われるほどの汚い選挙戦が行われる場所として知られていた奄美群島選挙区といった保守系議員による厳しい選挙が繰り広げられていたことが背景にある。先の林一族は現在に至るまで安倍家と対立関係にあるとされ、おひざ元となる下関市や長門市では現在に至るまで激しい地方選挙が繰り広げられているという。
- なお、小選挙区に区割りされて以降は息子の晋三および林義郎の息子・芳正がそれぞれ当選するなど無風状態にあったが、選挙区再編が行われ晋三が死去して以降の動向にも注目が集まる。
- 思想的に真逆である実父と岳父の双方の均衡を保つことができているバランス感覚のある人である一方、政治家としては人が好過ぎる、押しが弱いゆえに「甘さ」があるためにプリンスメロンと呼ばれたこともある。
- 派閥こそ清和会であり、タカ派的な側面こそあるものの日本国憲法に関しては護憲派であり、保守派の中ではリベラル寄りな側面もあった。また、反共という面で比較的優遇されていた在日韓国人だけでなく、警察や公安から常に監視対象であり冷遇されていた在日朝鮮人に対しても公平公正に接しており、現在の保守派による分断をあおるようなことはしなかった。
- 岳父の岸信介同様に統一教会との関係が深く、それが自身の評価だけでなく現在に至るまで様々な影響を与えることとなっている。
- 後継者となった晋三に対しては「言い訳の天才」と評するくらいに厳しく、自身が存命時に補欠選挙に出馬を打診された際に「時期尚早」「政治家としての情がない」と断っている。
- 選挙の地盤を築くことや政治活動の影響で晋三との関係は微妙な面も多く、勉強をしない晋三に対して折檻を行った話も存在する(それは彼に限らず家庭教師を務めた平沢勝栄ですら行ったとされている)。
- 2006年に息子である安倍晋三が自民党総裁ならびに内閣総理大臣に就任するという悲願を達成した。一度は辞任するが、2012年に再び総理総裁に返り咲き2018年まで3期連続で総理の座にあり続け、在任期間も憲政史上最長となった。しかし2022年7月8日、奇しくも父・晋太郎と同じ67歳の時に凶弾に倒れることとなる(詳細は安倍晋三銃撃事件)参照。
- 2022年11月22日、父と晋太郎が苦心して築き上げてきた地元山口県長門市及び下関市の選挙事務所が同年12月末に閉鎖することが発表された。後援会の解散等は不明。
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