概要
「バブル期」は、1985年のプラザ合意に端を発する「バブル景気」により、1980年代終盤から1990年代初頭までの(異常に)日本の景気が良かった時代を指す。広い意味では安定成長期(高度経済成長期の終焉から平成不況まで)に含まれるが、文献によってはバブル期を安定成長期から除外しているものもある。
戦後日本の繁栄の絶頂期であった。単に「景気が良かった」というだけでなく、株や土地への無謀な投資が流行する、今からは考えられない狂った時代ともいえる。やがて過度の株や土地への投資が不良債権(銀行は借り手がつかない余り無担保、無価値な担保での融資も平気で行っていた)となり、総量規制を契機として不況に転じた。
なお、バブル期というとジュリアナ東京でギャルが扇子を振って踊っているイメージが強いが、ジュリアナ東京はバブル崩壊期にできたものであり、当時ディスコと言えばキング&クイーンや芝浦GOLD、マハラジャであった。
時代背景
第二次世界大戦の焦土から復興した日本は、昭和30年代から凄まじい高度経済成長の波に乗る。日本社会もまた、古き良き昭和レトロの原風景から少しずつ変貌していった。
2度のオイルショックは高度成長を止めたともいうが、世界的に見ればスタグフレーションに苦しんだ諸国に比べて日本の被害は軽く安定成長が続く。かくして米国などへの輸出産業がさらに成長し、ついには(米国に次ぐ)世界第2の経済大国と呼ばれるまでに至った。
こうして対日貿易赤字に苦しむ米国主導で円高ドル安誘導による対日赤字圧縮が試みられた。日本国内が円高不況に陥ったため日銀は長期的な金融緩和に踏み切り、だぶついた資金が株と土地に流入してバブル景気という好況が始まった。当時の爛熟した社会と文化をバブル期と呼ぶ。
当時、日本の経済力・資金力は圧倒的であり、アメリカの社会学者ヴォーゲルの著書題名である『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が日本の代名詞となった。土地価格が急上昇し、東京都区部の住宅地公示地価は1987~1988年のわずか2年間で2倍以上に急騰する。87年末の地価総額は米国の4倍となり、「東京を売れば米国が買える」とすら言われた(読売新聞昭和時代プロジェクト『昭和時代 1980年代』pp.350-351)。暴力団が介入した恫喝や暴力を伴う土地買い取りと立ち退き要求、「地上げ」も横行した。金融では、1986年には個人投資家が2000万人を突破し、この年13000円余りから始まった東証ダウ平均株価は1989年大納会には38915円に達する(古川隆久『昭和戦後史 下 崩壊する経済大国』)。
財テクが流行となり、貯金をマンション購入や投資信託に投じて利ざやを稼ぐことも盛んとなった(ただしこれは当時の地価高騰によって一戸建て住宅が入手困難となったことも影響している)。1987年には民営化されたNTT株が上場されてこれも急騰する。額面わずか5万円の株券が約120万円で売りに出されてそれでも抽選倍率6倍を越える申し込みが殺到し、翌3月までさらに価格が上昇してついに300万円を突破した。円高によって海外製品が割安になり、ワインやブランド品の輸入が盛行した。海外旅行も盛んとなり、1987年~1989年に海外旅行客は年間550万人から960万人に激増した。大学生の就職も容易な売り手市場となった(以上迄古川、同書)
当時を象徴する風習として、特に都市部ではタクシーを拾うのに万札を掲げるというのがあった。運賃と思われがちだが、実はこれタクシー運転手へのチップなのである。
文化を見てみよう。芸能界はアイドルの黄金時代となった(読売新聞昭和時代プロジェクト『昭和時代 1980年代』pp.362-365)。小泉今日子、中山美穂らが活躍し、さらに秋元康が仕掛人となって素人の女子高生たちをおニャン子クラブというアイドルグループに育てる企画をバラエティ番組「夕やけニャンニャン」を通してリアルタイムでお茶の間に届けた。男性アイドルでもこの頃少年隊、男闘呼組、光GENJIといったジャニーズ事務所のグループが次々とデビュー、活躍した。ジャニーズ事務所所属のアイドルのダンスパフォーマンスはこの時期が最高とも評される。
当時のテレビ番組・CMや映像作品、それに芸能人の水準は段違いに高かった。軽音楽やアーティストの長く愛される名曲も多数生まれた。食文化でもグルメブームで料理人の技術が向上し、日本のフランス料理やイタリア料理が本場と比べても見劣りしない水準に達した。
文学では1987年に村上春樹が『ノルウェイの森』を刊行、吉本ばななの『キッチン』と共にミリオンセラーとなり「春樹・ばなな現象」と呼ばれた。さらに各国版に翻訳され、大切なものを喪失した世界の若者たちの共感が両作を支えた(以上読売プロジェクト、同書)。プロ野球では、西武ライオンズが空前絶後の黄金時代を築き上げ、福岡時代のダークなイメージを完全払拭した。
家電・自動車・バイクなどの工業製品にも名機を多数輩出した。耐久性が桁違いであったり、性能が現代でも通用するほど。特に自動車の作り込みは大衆車レベルでも非常に豪華であり、同一車種でもバブル期とバブル後に設計されたモデルを比較すると前者の方が高品質だったり、人気な場合が多い(例としてGT-RのR32とR33)。後の時代になって再評価が進み、当時の人気製品は中古品に高値がつくようになった。
建築デザインで遊ぶゆとりが生まれたこともあり、東京都庁舎をはじめとして多くの豪華な建築が作られた。ただし都市部から離れた地方都市などで経営破綻に陥った事で倒産、「負の遺産」となり廃墟と化しているものも多い。所有者などが夜逃げや失踪してしまう事で未だに解体できていなかったり、建てた場所が急斜面すぎて解体自体も困難だったりするのが現状である。栃木県の鬼怒川温泉周辺地域は特に有名な所だろう。
日本国内では捌ききれない資金力は海外でも猛威を振るい、三菱地所がニューヨークのロックフェラー・センターを買収し、ソニーが米国の代表的な映画会社であったコロンビア映画を買収するなど、各国の不動産・企業が巨額で買収されていった。日米の貿易は日本側の圧倒的な黒字であり、日米貿易摩擦が激化した。こうして米国ではジャパン・バッシング(日本叩き)という反日感情の高まりも生じた。例えば1987年の東芝ココム事件では、東芝が共産圏に米国産技術を売ったとして連邦議会議員が東芝製品をホワイトハウス前で破壊するパフォーマンスを行った。
繁栄の絶頂期は長続きしなかった。1989年大納会に最高値を記録した東証平均株価は1990年には20000円を切る大暴落となり、その後数年も20000円前後に低迷する。そして1990年3月には日銀による悪名高い総量規制が発動される。これが、バブル崩壊である。やや遅れて地価も低下を始め、2005年ごろまでには半値程にまで下落する。大学生の就職は一気に困難となり、就職氷河期と呼ばれた。混乱は政治にも及び、リクルート事件が発生して多くの逮捕者が出た自民党が混乱、少し遅れて社会党や民社党も解体され、公明党も一回解党し、55年体制も崩壊した。
当時~バブル直後にかけては金と性欲に狂って日本人のモラルが崩壊した、崩壊後の今ぐらいが丁度良いなどとも揶揄された。敗戦でもオイルショックでもすぐ復興したし、なんとかなるという思いがあったのだ。が、経済にしても社会にしても文化にしても、いつまでたってもこの時代の水準に戻ることはついに無く(そして多分これからも)、遠ざかるにつれてバブル時代の凄まじさが改めて感じられるようになっていた。
バブル期の出来事
バブル拡大期(1985年~1989年)
円高不況。NTT・JT誕生。『夕やけニャンニャン』、『ニュースステーション』が放送開始。阪神タイガース日本シリーズ初制覇。つくば万博開催。日航ジャンボ墜落事故。豊田商事会長刺殺事件。アフタヌーンショーやらせリンチ発覚で強制打ち切り(1985年)
「フリーター」が流行語に。『風雲!たけし城』が放送開始。年末にてバブル景気突入。 岡田有希子自殺(1986年)
国鉄分割民営化、JR発足。ブラックマンデー。リゾート法制定。 AIDSパニック。ファイナルファンタジー発売。小錦が外国人大関第1号に。石原裕次郎急死。スーパードライ発売。(1987年)
ソウルオリンピック開催。青函トンネル・瀬戸大橋開通。ドラゴンクエストⅢ発売。バブル景気本格化。10.19決戦。(1988年)
昭和天皇崩御。 消費税導入。 大納会で日経平均株価がピークに。 平成新局ラッシュ。ベルリンの壁崩壊。冷戦終結。手塚治虫死去。『NEWS23』が放送開始。10.12決戦。日本シリーズ「巨人はロッテより弱い」騒動。薬害エイズ民事訴訟開始。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件容疑者逮捕。(1989年)
バブル崩壊期(1990年~1995年)
国際花と緑の博覧会(花博)開催。東京都庁舎完成。スーパーファミコン発売。日経平均が半値近くまで暴落。東西ドイツ統一。(1990年)
湾岸戦争。 ソ連崩壊。ジュリアナ東京開店。SMAPがデビュー。 日本のヘアヌード実質解禁。千代の富士引退。ストリートファイターⅡ稼働開始。(1991年)
就職氷河期到来。モツ鍋流行。路線価ピーク・以後2005年までに約半値に下落。岩崎恭子14才でバルセロナオリンピック金メダル。フジサンケイグループお家騒動。松井秀喜5打席連続敬遠。日本初のミニ新幹線山形新幹線開業。(1992年)
Jリーグ開幕。 皇太子ご成婚。 細川護煕内閣発足、55年体制崩壊。 ドーハの悲劇。北海道南西沖地震発生。記録的冷夏と平成米騒動。曙が外国人横綱第1号になる(1993年)
『週刊少年ジャンプ』の売り上げがピークの653万部に。 松本サリン事件発生。 ジュリアナ東京閉店。プレイステーション発売。10.8決戦。(1994年)
阪神大震災。 地下鉄サリン事件発生、 オウム真理教の一連の事件が明るみに出る。バブルの脳天気なノリは次第に失われていき、新世紀エヴァンゲリオンのような重たい内容の作品が増えていく。(1995年)
※90年代前半はバブル崩壊が分かりにくく、90年代半ばに明るみに出る。
バブル期の世相を背景とする同時代の作品
バラエティ
ギミア・ぶれいく
テレビ探偵団
今夜は最高!
ドラマ・特撮
男女7人夏物語シリーズ
さすらい刑事旅情編
テレビコーナー
漫画
映画
ゲーム
バブル期の服飾
1980年代前半には原宿ホコ天こと歩行者天国にて、原色の派手な衣装でディスコサウンドの流れるラジカセを囲み踊る竹の子族が現れた。1979年にロックンロールバンドの横浜銀蝿がデビューし、リーゼント・サングラス・革ジャンといったツッパリファッションで人気を集めた。彼らは不良ではなく女性ファンが多いアイドルであったともされるが、いわゆる不良のヤンキーや暴走族が若者に多く活動していた時代でもあった。また神戸を中心とするニュートラ、横浜を中心とするハマトラという海外高級ブランドを取り入れたお嬢様風ファッションも流行していた。
80年代中頃にかけては、国産のファッションデザイナーが企画を主導するデザイナーズブランドとアパレル経営者がコンセプトを決めて主導するキャラクターズブランド、合わせてDCブランドが隆盛した。コム・デ・ギャルソン、イッセイ・ミヤケなどがその代表である。マハラジャなどの当時のディスコはドレスコードで80年代前半に流行っていた不良ファッションを店から締め出し、財布をはたいてDCブランドのスーツで入店する男性たちも増えた。海外ブランドも隆盛し、アルマーニ、ベルサーチ、グッチ、プラダなどが人気を集めたが、初めて国内ブランドが海外勢と肩を並べて競う時代となった(谷川直子「ファッション」斎藤美奈子・成田龍一『1980年代』)。
80年代後半にかけて女性たちの間で、DCブランドの中でも特に身体に密着した素材を使ったボディコンシャス・スタイル、略してボディコンが流行した。フロントから後ろまでを同じ長さに切りそろえるワンレンという髪型と合わせて、ワンレン・ボディコンでディスコに集う女性たちは、バブル期を象徴するファッションとなった。80年代末には渋カジが登場する。渋谷で流行するアメリカンカジュアルファッションのことであり、DCブランドではなく主にアメリカ製のミリタリーやワークウェアのアイテムが用いられた。ブランドではリーバイスのジーンズやヘインズのTシャツなど。
バブル期パロディの作品
- 平野ノラ バブル期OLパロディのソロコント作品多数。
- 登美丘高校 上記の平野のコントを元ネタにしたダンスプログラムで全国準優勝。
- DanceMyGeneration バブル期の遊び人男性パロディの歌。
- 龍が如く0 物語がバブル時代での出来事と描写、イベントやシナリオ、金銭感覚もバブル時代を意識したものとなっている。