概要
高度経済成長を成し遂げた日本が引き続き安定した経済成長を持続していた時代。1973年の第一次オイルショックから1991年のバブル崩壊までを指すが、1987年以降のバブル期は含めないこともある。ここでは「オイルショック以降、バブル前」としての安定成長期について解説する。概ね「昭和末期」とイコールである。
時代像
1973年と1979年の二度にわたるオイルショックは、西側先進国の国民経済に大打撃を与えた。しかし、高度経済成長期の造船・石油化学・製鉄などの「重厚長大」産業から、電気製品、半導体、製薬などの「軽薄短小」産業や自動車工業に軸足を移した日本はいち早く痛手から立ち直り、1970年代から80年代にかけてスタグフレーション(不景気の中のインフレ)と高失業率に苦しんだ西側諸国の中で一人勝ちの様相となった。高度経済成長期の日本の年平均経済成長率は約9%という高さであったが、第一次オイルショック以降バブル期までの安定成長期でも約4%もあり、またこの期間の完全失業率は1~2%台(完全雇用に近い)という低さであった。また、先進国水準からは著しく立ち遅れていた下水道整備(1970年時点の人口普及率はわずか8%だったが、1990年代前半に50%を超えた)や、高度成長期の後半から本格化した道路整備(1970年時点の道路舗装率2割⇒1990年には約8割)なども目覚ましく進展した。
こうして「ジャパン・アズ・ナンバーワン」、「昭和元禄」と言われた戦後日本あるいは日本史上の繁栄の絶頂期がバブル崩壊まで続く。
一方で、高度経済成長期以来の農山村の過疎と都市部の過密といった社会問題に加え、過重労働や受験戦争、若者の荒れといった問題もクローズアップされた時代でもある。オイルショック後の不況を乗り切るため労使協調で経営者側が解雇を控え終身雇用を約束する代わりに労働者側が賃下げと労働強化を受け入れたため、「日本人の働きすぎ」が固定化し、労働者にとっては豊かさを満喫するには程遠い過重労働もまた蔓延することになった。しかしこれは失業率を低く抑える代償であった。当時の大企業や中堅企業は窓際族と言われる社内失業者を多数抱え込んでいたのである。