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昭和20年

しょうわにじゅうねん

日本では戦争が終わった年として知られる。西暦1945年。
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概要

日中戦争から、連合国との太平洋戦争までの一連の戦争( アジア・太平洋戦争 )が終結した年であり、日本が初めて外国に占領された年である。

詳細

1945年に入ると、戦況は絶望的な状況となり、「本土決戦」が叫ばれる中、3月以降、アメリカ軍による飢餓作戦によりインフラの破壊や外地との航路および内航海運が遮断される事態となり、遂に日本本土が戦場となる事態を招いてしまい、例えば沖縄県などでは住民を巻き込んだ地上戦となり、東京を始めとする日本各地の多くの都市が米軍空襲焼け野原となり、さらに広島長崎においては核兵器が使用され、

戦時中の飢餓

太平洋戦争といえば食糧難に苦しんだイメージが存在するものの、実際には日本本土で配給遅配が常態化するなど飢餓が深刻化したのは植民地の喪失や戦後の凶作などの状況が絡む敗戦後のほうが厳しい( 後述 )。

終戦

8月に日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏、アメリカ軍を中心とした連合国軍の占領およびGHQによる軍政を受け入れざるを得なくなったが、終戦記念日とされるのはポツダム宣言を受諾した8月15日であるが、大日本帝国敗戦に乗じて領土拡大を目論んだソ連軍が日本本土への侵略を行ったため、樺太や千島ではそれ以降も戦闘が行われ、それとは別に8月17日には日本領空に侵入してきた米軍機との空中戦も行われている。

植民地の処分

アジア太平洋各地の旧日本植民地、保護領、および占領地が( 沖縄や奄美諸島、北方領土など日本本土の一部とともに )連合国軍に占領もしくは現地政府に接収されることが決まり、、多民族帝国だった大日本帝国は事実上解体され、ほぼ日本人だけで構成された国家に戻ることとなった。

復員

敗戦当初の日本当局は「国内には海外移民した日本人の受け入れ余地はない」として、軍関係者以外の在外邦人は現地で自活することを求める……要は海外に取り残された日本人は見捨てるつもりだったのだが、連合国軍はこれを認めず、9月以降、旧植民地および占領地等からの引揚げが行われ、翌年末までの1年強の間に500万人以上の日本人が本土に流入することとなり、国内の食料状況の悪化を深刻化させる一因となった。

戦後の食糧難

植民地との連携が取れなくなったこと、終戦に伴い食料等の物資は港湾等にある程度滞留していたもののそれを輸送する手段が乏しかったこと、さらに国内における農地荒廃および肥料等の不足を原因ととした凶作、さらには復員による人口の増加などにより激しい飢餓が発生、これに関し発生後はGHQ及び日本政府もアメリカ合衆国等の備蓄農産物の放出などの対策を講じたものの、敗戦直後のインフラが崩壊した状態では限界があり、日本本土の飢餓状態は翌年秋の豊作などにより情勢が落ち着くまで数年間続いた。

金融の混乱

さらに、戦争による通貨量の増大、大戦末期から敗戦直後の需要と供給の差、生産手段の破壊による物資製造の困難な状況、インフラ等の破壊による輸送の問題等により悪性のインフレが発生、この対策として行われた預金封鎖も世情の混乱に追い打ちをかけた。

昭和20年の主な出来事

関連タグ

昭和 近代 大東亜戦争 太平洋戦争 1945年

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